中野沼袋氷川神社:冨岡義勇ゆかりの神社?室町時代には太田道灌が本陣を置いた神社
西武新宿線沼袋駅北口から徒歩3分に、鎮座しているのが中野沼袋氷川神社です。西武新宿線の車窓から、こんもりとした山に鎮座しているのが見えます。
こちらの氷川神社には、太田道灌が石神井城を本拠としていた豊島一族との合戦のための陣を構えたことで有名な神社です。
太田道灌は、豊島氏攻略のためにこの地域に多くの寺や神社を建立し、拠点化していきました。
ですから、この地域には太田道灌ゆかりの神社・仏閣が数多くあります。
参拝日2021年1月19日
ただいま豊島一族のサイトを作成中なので、荒井薬師駅から沼袋駅を散策してきました。
江古田古戦場跡を見てきたのですが、太田道灌の陣取った沼袋氷川神社の再訪してきました。今こちらの神社は、鬼滅の刃で一番人気の冨岡義勇のゆかりの神社ということで人気となっていました。
社務所横には、義勇コーナーができていました。
義勇さんは、この辺りの出身だそうです。本編ではそういうこと書いていませんが、確か煉獄さんは世田谷の出身とか?
参拝日2022年3月17日
▼目次
沿革
こちらの神社の正式名称は、扁額を見るとただの氷川神社なのでしょうが中野沼袋氷川神社と呼ばれています。
神社の創建は南北朝時代で、南朝2代目後村上天皇の正平元年(1346年)です。ちなみに北朝は二代目光明天皇の時代で貞和二年と言う元号でした。
この時代に、武蔵国一の宮である大宮(現在の埼玉県さいたま市)に鎮座している氷川大社の分霊を、この地に祀ったのが始まりとされています。
文明9年(1477年)4月積年の対立から、太田道灌と豊島一族が遂に本格的な武力衝突が発生しました。
太田道灌は豊島一族の豊島城を攻め城よりおびき出し、江古田・沼袋にて合戦となりました。
豊島一族攻略戦で太田道灌は中野沼袋氷川神社に本陣を布き、戦勝を祈願して社頭に杉一本を献植しています。
この合戦に勝利した道灌は、豊島一族の本拠石神井城を一気に攻略し、名門豊島一族はここに滅亡しました。
後世作られた話として、城主豊島泰経の娘照姫が池に身投げしたという悲しい話が語られています。
江戸時代になり三代将軍徳川家光の時代の正保年間(1645~1648年)には、代官・野村彦太夫により社殿の修築が行われました。このあとも、明治・大正期にかけてたびたび増改築されています。
昭和63年(1988年)には、昭和天皇御即位60年記念事業として昭和社殿を御造営しています。ただこの社殿は1年数か月後に、中核派を称する過激派集団により焼失してしまっています。
現在の社殿は、平成3年(1991年)8月に造営されたものです。
ご祭神とご利益
ご祭神 | 須佐之男命 |
相神 | 七福神 |
御利益 | 家内安全・厄除祈祷・商売繁盛・病気平癒 |
ご祭神の須佐之男命は、古事記では伊邪那岐命に海をつかさどる神と言われたのですが、母伊邪那美命を恋しがり泣いてばかりいたと言われています。その後高天原で大暴れをし、天照大御神が天の岩戸に隠れる事件などを引き起こし地上に追放されています。
地上に降りてからの須佐之男は人が変わったように活躍し、伝説の生物八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するなど英雄神となります。
この八岐大蛇退治は、田を害する災害などから守ることに通じ、須佐之男は田の神、水の神として農業の神様としての性格が強く出ています。すなわち、五穀豊穣をかなえてくれる神様とされています。
また須佐之男は猛々しい性格から、災厄を追い払うという側面もあり厄払いの神様としても祀られています。
そして、須佐之男は和歌も読んでいますので、学問の神様としても有名です。
境内Pick Up
▼鳥居
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一の鳥居は神明鳥居で、二の鳥居と裏参道鳥居は明神鳥居と言う構成になっています。
▼手水舎
天皇陛下御大典奉祝記念事業として、令和元年に改修した新しい綺麗な手水舎です。
▼狛犬
狛犬の下に一瞬豚がいると思ってしまいましたが、子どもの狛犬なんですね!!子育てをしていて神様を御守できるのか?と心配してしまいます。
こちらの子育て狛犬は、「3回撫でるとお産が軽くなり、子育てが順調に進むと言い伝えられています。」(公式HPより)妊娠中の方は、一度中野沼袋氷川神社に参拝してください。
▼社殿・拝殿
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こちらの扁額は、中野沼袋氷川神社の名誉宮司であられる小俣茂氏が揮毫したものです。
現在の社殿は、平成3年に御造営されたものですが何か歴史を感じてしまいます。
戦後再建された神社はコンクリート製ですが、近年は木造で再建されるので社殿が徐々に風格が出てきますよね。
▼神楽
神楽も天皇陛下御大典奉祝記念事業として、令和元年に改修しています。
▼摂社・末社
天王社は、午頭天王(ごずてんのう)をお祀りしている神社です。この牛頭天王は、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた神様で、神仏習合の時代には須佐之男命の本地と考えられていました。
祇園信仰の神社では午頭天王をご祭神としている神社は少なく、素戔嗚(スサノオ)をご祭神としているところが多数です。(神仏分離の影響)
祇園信仰系の神社(八坂神社・津島神社)はスサノオを素戔嗚尊(日本書紀の表記)と記述しますが、氷川神社系は須佐之男(古事記の表記)と記述しています。
▼稲荷神社
昭和38年に中野区野方に鎮座していた大久保稲荷神社を合祀し、現在の稲荷神社となっています。
▼御嶽神社
石でできた小さな社の神社です。御嶽神社は、蔵王権現を祀っています。
蔵王権現は、修験道信仰の事です。神仏分離後は、「大己貴命、少彦名命」「国常立尊、大己貴命、少彦名命」などの神様を祀っています。
▼三本願い松
古来より
「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」と杉の木に願いを掛けて、不運・災難から逃れ松の木に幸福を願うと、必ず叶うと信じられて来ました。
豊かな森がいつも身近にあった我々日本人には自然の恩恵や営み、特に木に宿る魂に対する謙虚な姿勢がありました。
「三本願い松」に思いを託し、大神さまのお陰を戴き、健康で豊かな日々をお過ごし下さいますよう祈念申し上げます。
当社の御神木として参拝者を見守り続けています。多くの人々が様々な想いを胸に秘め、そっと手を伸ばし松に触れて願いを託しているようです。
出典:中野沼袋氷川神社HP
三本松と言うのですが松は二本しか見えません、その辺の説明は特にありません。
ご神木の事は、あまり詮索しないほうが良いですね。
▼中野七福神
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こちらの七福神は平成21年8月に、天皇陛下御即位20年並びに天皇皇后両陛下御成婚50年を記念としてこちらに奉齋されました。
七福神の神様には仏教の神様が御座しますが、細かい事はこだわらないで起きましょう。
一か所で、七福神をお参りできるのはよいですよね。中野区で七福神をお参りできるのは、こちらの中野沼袋氷川神社だけのようです。
▼境内
「茅の輪」神事について
昔、御祭神スサノオノミコトが南海の諸国を巡られた時、ある村に至り一夜の宿を求められました。
ところが初めに訪ねた裕福な巨旦将來(こたんしょうらい)は汚い旅人姿のスサノオノミコトに宿を貸しませんでした。次に訪れた巨旦将來の兄で貧しい蘇民將來(そみんしょうらい)は、快く宿を供し、粟飯をごちそうしました。
翌朝、スサノオノミコトは名前を明かされ「茅の輪」を作り蘇民將來の腰につけ、今後蘇民將來の子孫を悪疫から守ると約束されました。後世まさに悪疫がはやり、弟の巨旦将来の子孫は滅びてしまいましたが兄の蘇民將來の子孫は悪疫を免れて栄えたということです。 「備後八土記』出典:中野沼袋氷川神社掲示板より
須佐之男命をご祭神としている氷川神社では、須佐之男ゆかりの説話による茅の輪を設けられています。
中野沼袋氷川神社では、6月および12月の年2回、大祓式に茅の輪くぐりの神事を行っています。
6月30日午後5時執行
12月30日午後4時執行▼道灌杉跡
文明9年(1477年)4月に、この辺りを支配していた豊島氏と関東管領上杉家の家臣太田道灌との間で合戦が起こり、太田道灌は中野沼袋氷川神社に陣を構えています。その時戦勝祈願として、当社に植樹したものと伝わっています。
高さ30メートルほどの大木でしたが、残念ながら昭和19年に枯れてしまいました。
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手水舎だと思いますが、横に安政三年(1856年)と彫られています。安政の大獄などがあった、幕末の動乱期に造られたようです。
御朱印
初穂料・・・500円
受付時間:9:00~17:00
授与所:社殿右側授与所にて頒布
現在御朱印はすべて、書置きのものになっています。
御朱印は裏面がシールになっていてすぐ御朱印帳に貼れます。
※期間限定御朱印は、沼袋氷川神社のSNSかブログで確認できます。
周辺情報
江古田原沼袋合戦古戦場跡

この合戦は、古河公方足利成氏と鎌倉の本拠を置いていた関東管領の上杉氏の対立が激化し、上杉氏の家臣長尾景春が古河公方方につくなど戦いは30年に及んでいました。
上杉方の家臣太田道灌と、長尾家側についた豊島一族の間で、大規模な合戦が繰り広げられたのがこの辺りでした。
古戦場跡は、現在の哲学堂あたりと推測されています。古戦場跡の石碑は、哲学堂より少し北の江古田公園内にあります。
哲学堂公園は、西武新宿線 新井薬師駅から徒歩12分の所にあります。新宿方面からくると、新井薬師駅は沼袋駅の一つ手前の駅になります。
両駅とも、各駅停車しか止まりませんのでご注意ください。
関連サイト:「江戸の名家 豊島氏」
基本情報
所在地 | 東京都中野区沼袋1-31-4 |
電話 | TEL : 03-3386-5566 FAX : 03-3388-9331 |
公式HP | https://hikawa-n.or.jp |
主祭神 | 須佐之男命 |
創建 | 正平元年 |
例大祭 | 6月第1土・日 |
アクセス | 西武新宿線「沼袋駅」北口より徒歩2分 JR中央・総武線、地下鉄東西線「中野駅」北口より 徒歩20分/バス約10分(練馬駅行きバス「新井小学校」下車徒歩5分) |
まとめ
最近太田道灌んと豊島一族の攻防を書いた、「決戦: 豊島一族と太田道灌の闘い」と言う本を読みました。
そこで早速太田道灌が、陣を張ったという中野沼袋氷川神社へとやってきました。
現在沼袋駅は、西武新宿線地下化工事のため少し分かりにくくなっています。神社までの道も工事関係のフェンスなどがあり、情緒がありませんでした。
周辺は落ち着かない状態ですが、こちらの神社の境内はとても整備されていてとても綺麗な心地良い神社でした。
コロナ禍が落ち着いたら、普通の御朱印を頂きに行きたいと思っています。
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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