福蔵院:町名「白鷺」由来の寺院
福蔵院は、中野区白鷺に立つ真言宗豊山派の寺院で、最寄り駅は西武新宿線鷺ノ宮駅です。こちらの寺院の山号は、白鷺山と言い町名の元となっているようです。
▼目次
沿革
福蔵院は、正式には白鷺山福蔵院正幡寺と号します。当院は、僧頼珍が室町時代後期の大永元年(1521年)に創建したと伝えられています。
江戸時代中期の宝暦12年(1762年)に火災に遭い、堂宇すべて灰塵に帰したと言われています。
江戸時代には、隣に立つ鷺宮八幡神社の別当寺を務めていました。
現在は、御府内八十八ヶ所霊場の14番札所となっています。
現在の本堂は昭和35年に再建され、鐘楼は昭和38年に完成しています。
ご本尊とご利益
ご本尊―不動明王
境内Pick Up
山門
本堂
鐘楼(鐘撞堂)
境内石仏群・石碑
福蔵院の十三仏
ここにならぶ仏菩薩が十三仏です。右から不動明王(初七日)釈迦如来(二七日)文殊菩薩(三七日) 普賢菩薩(四七日) 地蔵菩薩(五七日)弥勒菩薩(六 七日)薬師如来(七七日)観世音菩薩(百か日)勢 至菩薩(一周忌)阿弥陀如来(三回忌)阿閦如来(七 回忌)大日如来(十三回忌)虚空蔵菩薩(三十三回 忌)です。この十三の仏菩薩は、死後の忌日をつか さどるもので、冥界で生前の審判を受ける死者の救済を願ってまつられたものです。このように自他の供養がまとめて修められることから、室町時代以降、民間で広く信仰されました。
銘によれば、八体は、寛文六年(一六六六)の大 日如来像を最古として、貞享二年(一六八五)の普 賢菩薩像に至る十九年間に造立され、あとの五体は破損したものとみえ、現存のものは百余年後の寛政八年(一七九六)に真言講中の二十七人によって再建されたものです。
このように石像で十三体そろったものは都内でも めずらしく、他の石仏と同様、江戸時代後期の日常生活に深く根づいていた庶民信仰の現われといえましょう。
中野区教育委員会 昭和五十六年三月
この福蔵院十三仏は、山門をくぐり右側に鎮座しています。
▼山門に入る前に鎮座している地蔵尊
▼馬頭観音(山門くぐりすぐ左側に鎮座)
▼六地蔵尊(馬頭観音横)
▼大阿闍梨長栄上人?(石仏の銘はこんな感じで読めました。栄の字がつぶれていてよく読めません)
▼庚申塚?(奉供養 庚申 天和二 と読めました)
天和二年は、1682年徳川綱吉の時代です。銘の下には三猿と思われるものが彫られています。
▼石塔
▼子育地蔵尊
▼十三仏脇の石仏
御朱印
対応していません
周辺情報
西武新宿線鷺ノ宮駅の南口を出て、妙正寺川を渡るとすぐに福蔵院の北門があります。正面の山門に行くには、坂を上ると鷺宮八幡神社があり、そこを左折し坂を下ると福蔵院の山門があります。
基本情報
所在地 | 中野区白鷺1-31-5 |
電話 | 03-3338-0183 |
山号 | 白鷺山 |
院号 | 福蔵院 |
寺号 | 正幡寺 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
御本尊 | 不動明王 |
創建年 | 大永元年(1521年) |
開基 | 僧頼珍 |
正式名称 | 白鷺山福蔵院正幡寺 |
札所等 | 御府内八十八ヶ所霊場14番札所 |
文化財 | |
アクセス | 西武新宿線鷺ノ宮駅より徒歩2分 |
まとめ
福蔵院の本堂の屋根には、ソーラーパネルが設置されていました。これはいかがなものでしょうかね~
昭和の建物ですから文化財ではありませんが、やはり寺院の景観・雰囲気を壊してるとつい思ってしまいました。
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