観泉寺|今川家の菩提寺

2020年6月7日

観泉寺本堂

観泉寺は杉並区今川にある曹洞宗の寺院です。

こちらの寺院は、戦国武将今川義元の息子今川氏真以降歴代今川家の菩提寺です。

今川義元亡き後家督を継いだ今川氏真は、松平家などの離反や武田氏から攻撃を受け領地を失い戦国大名としては滅びています。

今川家は歴史の表舞台からは消えてしまいますが、高家旗本として徳川家に使えて明治までその血脈を伝えています。

そんな今川家の菩提寺観泉寺に今回行ってきました。

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▼目次

  1. 沿革
  2. ご本尊
  3. 境内Pick Up
  4. 御朱印
  5. 周辺情報
  6. 基本情報
  7. まとめ

沿革

寺の開基は今川氏真となっていますが、そのもととなった観音寺は慶長2年(1597年)に中野にある成願寺の住職・鉄叟雄鷟が多摩郡下井草に創建した寺院です。

今川氏真は、今川家滅亡の後流転の末徳川家康の家臣となっています。このあと代々今川家は、徳川家の家臣となっています。

観音寺が今川家と縁ができるのは、氏真の孫の女性が夫と死別したのち剃髪し観音寺に入ってからのことです。

彼女の弟は、今川家中興の祖と言われる今川直房です。

今川直房は大変優秀な人で、徳川家康没後幕府は「東照大権現宮宣下」を朝廷に要求するのですがその交渉役にあたったのが直房です。

もともと今川家は源氏の名門ですが、朝廷との難しい交渉を成し遂げたことで井草一体500石が加増されています。

直房は下井草にあった観音寺を上井草(現在地)に移し、寺名を観泉寺と変え伽藍を建立しました。

さらに直房は、祖父氏真の墓が当時市谷田町の万昌院に在ったのですが万昌院が寛文2年(1662年)に牛込へ移転になるさい観泉寺に移しています。

万昌院には直房の母の菩提もあり、やはり観泉寺に移しています。

観泉寺は、1763年に本堂などが焼失してしまいますが翌1764年には無事再建されています。

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ご本尊

ご本尊-釈迦如来

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境内Pick Up

青梅街道沿いに荻窪警察署があり、そこの角を曲がり真っ直ぐ歩くと観泉寺の山門と本堂の屋根瓦が見えてきます。

東京のお寺というより、鎌倉あたりの寺院に行くような気分です。

▼山門
観泉寺山門

今川家累代の墓石碑

今川氏累代の墓は東京都指定の旧跡となっています。

▼鐘楼

▼本堂
観泉寺本堂2

観泉寺扁額

観泉寺本堂3

▼お堂と庭園

このお堂の左脇に今川家累代の墓の焼香台があり、お堂の裏側が今川家の墓地となっています。

観泉寺庭園

庭園や庭はとても良く整備されていて、気持ちが良いところです。

春は桜、秋は紅葉と 楽しめます。

▼地蔵菩薩と如意輪観音
観泉寺地蔵菩薩と如意輪観音1

観泉寺地蔵菩薩と如意輪観音1

▼子育地蔵・馬頭観音石仏群

荻窪警察の横の道から観泉寺まで歩いてくると、山門の手前右側に地蔵菩薩と如意輪観音、左側に子育地蔵・馬頭観音石仏群があります。

これらの石仏群の由緒に関する説明文はありませんでした。

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御朱印

対応していません

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周辺情報

荻窪警察署から歩いてくると左側に杉並区立桃井 原っぱ公園があります。

遊具などがない本当に原っぱの公園です。

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基本情報

所在地 東京都杉並区今川二丁目16番1号
電話 03-3390-0015
公式HP 未開設
山号 宝珠山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来
創建年 慶長2年(1597年)
開基 今川氏真
正式名称 宝珠山 観泉寺
文化財 今川氏累代墓(都旧跡)
アクセス 西武新宿線・上井草駅より徒歩15分

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まとめ

今川家江戸の菩提寺はこの観泉寺だと分かりましたが、今川義元の菩提寺はどこなのでしょうか?

調べてみると、静岡県静岡市葵区大岩町の臨済寺に墓所と神廟があるようです。

静岡市と杉並区今川に、今川家の菩提寺があるのですね。

情報によると紅葉の季節は、ライトアップされるようです。

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