可愛い「願かけ狐」がおわす、馬橋稲荷神社
稲荷神社は数多くありますが、こちらの馬橋稲荷神社のようにメインで稲荷を謳っている神社は東京にはあまり多くありません。
新宿の花園神社は、大正時代までは花園稲荷神社と言いましたが、昭和に入り大鳥神社を本殿で合葬したため花園神社と名前を変えています。
馬橋稲荷神社は社殿周辺の敷地はさほど広くはないのですが、参道は30メートルくらいあり、両脇に小川が流れていて趣がある神社です。
場所はJR阿佐ヶ谷駅から、徒歩十分位で着きます。
▼目次
沿革
馬橋稲荷神社の創建年代は不明ですが、由緒書などによると鎌倉時代末期の創建と記されています。
歴史的にはっきりとわかるのは江戸時代の書物に「寛永16年(1639年)、中川八郎右エ門が幕府の命を受けて検地をなせる際、境内地を除地せらる」との記載があり江戸初期にはこの地にあった事が判ります。
昭和13年(1938年)に茅葺屋根の社殿を、総桧入母屋流造りの現在の社殿に改修しています。
昭和40年(1965年)10月に施行された住居表示の改正に伴い、馬橋の地名を保つため神社名を「馬橋稲荷神社」と改めました。この住居表示の変更により馬橋は、高円寺と阿佐ヶ谷に分割併合されてしまいました。馬橋の名は、この馬橋稲荷神社と馬橋公園にその名を残すのみです。
ご祭神とご利益
ご祭神 | 宇迦之魂神 うかのみたまのかみ (稲荷神社) 大麻等能豆神 おおまとのづのかみ (御嶽神社) |
相神 | 伊弉册神 いざなみのかみ (白山神社) 美都波能賣神 みずはのめのかみ (水神社) 菅原道真朝臣 すがわらみちざねあそん (天神社) |
御利益 | 良縁成就・商売繁盛・五穀豊穣 |
「願かけ狐」
稲荷神のお使いである狐に願掛けをします。狐に願い事を書いた紙を入れて、狐に願い事を神様に届けてもらいます。ひげがある方が雄で、ない方が雌です。願い事の紙を入れたら、神社内所定の場所に納めるか、持ち帰って祀っても良いです。
初穂料・・・700円
きつねみくじ
※画像クリックで拡大します。
きつねのマスコット?が付いてきますので、初穂料はちょっと高めの500円です。
境内Pick Up
▼鳥居
馬橋稲荷神社の参道は長く、一の鳥居から三の鳥居がありその先に隋神門もあります。
この表参道だけではなく、東・西・北にも参道がありそれぞれに鳥居があります。
写真は、一の鳥居、一の鳥居扁額、表参道、東鳥居、北鳥居の順です。
こちらの稲荷神社は、伏見稲荷のような千本鳥居はありません。
▼手水舎
岩の所に龍の首がありそこから水が流れる、ちょっと珍しい手水舎です。水はたまるようになっていません。
▼狛犬
隋神門
随神門は、昭和50年(1975年)鎮座七百年記念事業として建立されたもので、左右の随神像に磐間戶神を祀り、中央天井に都内最大といわれる開運の大鈴(直径七十五センチメートル)が吊るされています。
社殿・拝殿
双龍鳥居
双龍鳥居は、品川神社と高円寺内の稲荷神社と当社の三か所しかない珍しい鳥居です。
この三つの鳥居を、東京三大鳥居とも呼ぶようです。
この鳥居は、高さ八メートルで左に昇龍・右に降龍が彫られています。台座には左に亀、右に富士山が彫られています。
この龍に触ると縁起が良いと、地元のおばあさんが教えてくれました。鳥居にちゃんと賽銭箱もありますから、触ってお賽銭を入れてきてくださいね!!
摂社・末社
美都波能賣神(みずはのめのかみ)=水神社
市杵島姫神(いつきしまひめのかみ)=厳島神社
本殿の左側に摂社・末社が鎮座しています。
戦没者並びに神社関係物故者
▼弁財天
以前はこの近くに池があり、そこに祀られていた弁天様です。
▼稲荷神社
境内には、いくつもの稲荷神社の祠があります。これは近隣の邸内社などとして、祀られていたものが遷されたものです。
境内
御朱印
初穂料・・・300円以上お気持ちで
受付時間:8時30分~17時
社務所:隋神門くぐりすぐ右側にあります。
周辺情報
プロゴルファーの石川遼君の卒業した、杉並学院は馬橋稲荷神社のすぐ近くです。
幻の馬橋駅
大正時代の中央線は、中野駅の次は荻窪駅となっていました。現在はこの間に、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅ができています。
東京の人口が増え始めたころで、中野と荻窪の間が距離があり過ぎるため中間に駅を作ろうという話が持ち上がりました。
単純に中間の地は、当時の馬橋村でした。馬橋村の一部の農民は、成長のチャンスと積極的に誘致を始めました。推進派は現在の青梅街道と早稲田通りを結ぶ馬橋通りを作るなどして、積極的にアピールした結果馬橋に駅を作ることで決着しました。
新駅建設の許可が下りたのですが、「我々貧乏人は電車に乗ることはない」と一部の農民が強硬に反対をし、土地の買収に応じませんでした。
この結果新駅構想はとん挫し、馬橋村の両隣村の高円寺村と阿佐ヶ谷村に新駅が作られることになり、現在に至っています。
先にも書きましたが、昭和になり住居表示の変更により馬橋は地名すらなくなってしまいました。
杉並区役所は現在阿佐ヶ谷にありますが、馬橋に駅ができていれば区役所も馬橋に出来たかもしれませんよね!!
そうなっていれば杉並の中心は、馬橋地区だったかもしれません。
基本情報
所在地 | 東京都杉並区阿佐谷南2-4-4 |
電話 | 03-3311-8588 |
公式HP | http://www.mabashiinari.org/ |
主祭神 | 宇迦之魂神 うかのみたまのかみ (稲荷神社) 大麻等能豆神 おおまとのづのかみ (御嶽神社) |
社格 | 村社 |
創建 | 鎌倉時代末期 |
例大祭 | 9月の第二日曜日 |
アクセス | JR「阿佐ヶ谷駅」 7 分 地下鉄丸ノ内線「新高円寺駅」 10分 |
まとめ
馬橋稲荷神社は規模は普通にある町の鎮守様といった感じですが、参道は長く三つの鳥居と隋神門があるという豪華な造りでした。
この参道の両脇には小川が流れていますがこれは、かつてこの近くを流れていた桃園川を偲んで造ったものです。
この小川にはメダカなどがいるようですが、私が訪れた時は枯葉の時期で網がかかりよく見えませんでした。それでも、川のせせらぎの音が心を和ませてくれます。
この小川が、この馬橋稲荷神社の大きな魅力のような気がしました。
桃園川の流れに思いを馳せて
かつて馬橋稲荷神社の神殿の先には桃園川が流れ、田んぼが広がっていました。
馬橋稲荷神社はその河川に迫り出した台地の上に鎮座し、農耕の神として祀られていました。
桃園川は馬橋の郷にとって幾代にわたり、大切な命の川でありました。古老の伝えではその流れは清く澄み、綺麗な水にしか生息しないイトヨという魚もいたそうです。
しかし関東大震災以降、馬橋は急速に宅地化し、農地が失われ、不要となった河川はコンクリートの擁壁に囲まれ本来の流域を失いました。川は生活排水のため、どぶ川となってしまいました。また度重なる氾温により、川は蓋をされ今はその流れすら見えません。
当社では馬橋の命の川、桃園川に思いを馳せ参道に小さなせせらぎを作りました。
ここに失われた水の流れを感じ、メダカのたわむれる小川を大切にしたいと思います。
境内看板より
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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