田無神社:五龍のパワーがみなぎる西東京の神社
西武新宿線の田無駅から歩いて5分くらいの所にあるのが、田無神社です。
こちらの神社は、割と珍しいのですが五龍をご祭神としている神社です。
二年前の初詣に訪れた以来で、その時はあまりの混雑で記事にはできませんでした。
今回はリベンジで、花見を兼ねながらの再訪です。
参拝日2021年3月30日
▼目次
沿革
東京の神社は、平安末から鎌倉時代にかけて武士が力をつけ始めたころに創建された神社が多くあります。
こちらの田無神社も、鎌倉時代に創建されています。
創建の時代には二つの説があり、一つは正応年間(1288年~1293年)という説と、もう一つが建長年間(1249年~1256年)との説があります。
当時の社は、現在の社殿より北へ1キロほど離れた谷戸の宮山に鎮座していました。
このころは、尉殿大権現と言われていました。
現在田無神社のすぐ北側に青梅バイパスが通っていますが、江戸時代の慶長11~12年(1606~1607年)江戸城の増改築が行われました。その工事のために漆喰が必要になり、原材料である石灰の運搬のために青梅街道が開かれました。
この時幕府は谷戸の住民たちに命令を出し、青梅街道沿いに移り住まわせました。
こうして田無は、宿場町として発展を遂げていきます。
信仰者である住民が、谷戸から田無の宿場へ移り住んだのですから、尉殿大権現(現田無神社)もその時に遍座したのだろうと考えられますがハッキリしたことは分からないようです。
谷戸の宮山に鎮座していた尉殿大権現は、元和8年(1622年)に上保谷(住吉町)に分祀され上保谷尉殿大権現(現尉殿神社)が創建されています。
田無神社の遷座は、「公用分例略記」(下田家所蔵)によると、正保3年(1646年)に現在地に宮山の尉殿大権現か上保谷尉殿大権現からもしくは両社から分祀されたと記されています。
尉殿大権現は級津彦命(男神)と言い、妻(姉ともされている)は級戸辺命(女神)と言います。この二柱は、現在の田無神社のご祭神です。
正保3年の分祀が級津彦命と級戸辺命両柱が分祀されたのか、男神のみだったのかは不明です。
保谷に伝わる伝承によると上保谷尉殿権現が男神、田無尉殿権現を女神としています。ところが、田無に伝わる伝承では男神・女神が逆に解釈されています。
現在の尉殿神社(上保谷尉殿権現)では、女神である級戸辺命を御祭神としています。
以上の説は「公用分例略記」からの説ですが、田無や田無神社に残っている文献によると、寛文10年(1670)に谷戸の宮山から尉殿大権現の本宮そのものが田無に遷座されたとされています。
田無神社現宮司の賀陽智之氏によると
① 1646年に分祀された後に、1670年に遷座された
② 1646年の分祀は無く、1670年に遷座された
③ 1646年は遷座であり、1670年の遷座はなかった
との3つの説を公式HPに書いています。
西東京市谷戸町付近のにあった宮山の尉殿大権現は、江戸時代に田無神社と尉殿神社とに分詞もしくは遷座したということです。
ご祭神とご利益
ご祭神 | 級津彦命・級戸辺命・大国主命 | ||||||||||
相神 | 須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊、応神天皇、大鳥大神 | ||||||||||
御利益 | 本殿に金龍神、東方を青龍神、南方を赤龍神、西方を白龍神、北方を黒龍神が配置されています。
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田無神社がなぜ五龍を祀る神社かというと、御祭神の級津彦命は金龍神として顕現しているからです。
また江戸時代までの別当寺は西光寺(現総持寺)で、田無神社では倶利伽羅不動明王像(龍神)を御神体としていました。
明治時代の神仏分離令により、倶利伽羅不動明王像は西光寺本堂へと奉安遷座となっています。
本地垂迹説では、倶利伽羅不動明王が垂迹して級津彦命・級戸辺命として日本に現れています。
不動明王は右手に剣を持っていますが、その剣に龍が巻き付いているものを倶利伽羅大龍剣といいます。
すべての煩悩を焼き払う、不動明王最強のアイテムと言ったところですかね!
境内Pick Up
▼鳥居
●一の鳥居
田無駅から新宿方向へと青梅街道を昇っていくと5分程で、田無神社の一の鳥居へと着きます。
青梅街道は少し下る感じのところで、境内には急な階段を登らないといけません。
この石畳階段は、江戸時代に造られたもので、当時の技術の高さに感動します。
二の鳥居
一の鳥居から二の鳥居位の間の参道を、龍神の参道と言い、とても静な厳かな道です。
●東鳥居
静な住宅街からの入り口です。参道に続く道のお宅には、都電?がお庭にありました。特に公開しているわけではありませんでした。
▼手水舎
▼白龍の水
▼道祖神
手水舎の周辺には、こんもりと道祖神や、水に半分埋もれた狛犬など何故か見どころ満載です。水没している狛犬は、神社のHPでも特に解説がなく、不思議な存在です。
手水舎の正面には、白龍神が祀られている関係からか、手水舎の龍も白色です。
▼狛犬
▼社殿・拝殿
こちらの拝殿と本殿は、東京都指定有形文化財に指定されている建物です。本殿は1858年(安政5年)に建てられ、拝殿は1875年(明治8年)に建てられたものです。
関東大震災や東京大空襲をくぐり抜けてきた、江戸を残す貴重な建物です。
龍の彫刻は、江戸時代の代表的な彫刻家の嶋村俊表の作品で、とても美しい姿の龍の彫り物です。
▼神楽
一般的には神楽殿と呼ばれますが、田無神社では舞殿と呼んでいます。
舞殿の前にはフードカーが常駐していて、コーヒーなどが飲めます。ここで軽食を買い、境内でノンビリ心を癒やすのも良いですね。
▼授与処
▼参集殿
この参集殿が文化財としては一番貴重で、国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。
でも目立った存在ではなく、普通にしていると社務所?くらいに見落としてしまいます。
▼摂社・末社
明治時代に神社は国の管理となり、管理しやすいようにと神社は合祀(合併)された関係で、田無神社には多くの摂社・末社が鎮座しています。
▼賀陽家屋敷稲荷神社
一の鳥居をくぐりすぐにあるのが、こちらの稲荷神社です。賀陽家は、無医村状態の田無周辺で医療を施した家で、田無神社の宮司を代々務めている一族です。
▼津島神社
龍の参道を進み拝殿の前で左に曲がると、素戔嗚尊を祀る津島神社があります。素戔嗚は田無神社の主祭神の大国主命の義父、もしくはご先祖とされている神様です。
祠の前には蘇民将来の伝説から、茅の輪があります。蘇民将来伝説では、蘇民将来の家を訪ねた神様は素戔嗚とされています。素戔嗚を祀る神社には、今や夏の大祓の時期だけでなく年中茅の輪があります。(素戔嗚を祀っていない神社でも、茅の輪はあります。)
▼弁天さま
弁財天は、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれ弁財天と呼ばれるようになりました。また、神仏習合により市杵島姫命が、弁財天だとされています。
ところがこちらの田無神社の弁天様は、須勢理比売命を弁天として祀っています。
須勢理比売命は、田無神社の主祭神の大国主命の妻で津島神社の素戔嗚尊の娘です。
これは、田無神社だけの祭り方です。
▼少彦名社
少彦名は、海の向こうから大国主命の元へやってきた親指大の神様で。大国主はその頃国造りに行き詰まっていました、そこに海の果てからやっていた少彦名はが大国主を助け国造りを推進しました。
少彦名社は、本殿すぐ左脇に鎮座しています。
▼恵比寿・大黒社 金の鳥居
大黒天は大国主と同一神とされています。一方恵比寿神は多くの神社では事代主神とされています。ところがこちらの田無神社では、少彦名を恵比寿さまとしています。
これは日本じゅうでも、とても少ない例です。
▼野分初稲荷大社
田無神社の野分初稲荷神社の歴史は古く、室町時代の頃からこの地域で信仰されているお稲荷さんです。
▼煩大人社・鹽竈神社
煩大人は、伊邪那岐が黄泉の国より帰還して筑紫の日向で禊をした時、脱ぎ捨てた衣より生まれ出た神様です。伊邪那岐が、煩わしい衣服を脱ぎ捨てたことは、除災の効用があるとして祀られています。
鹽竈神社は、塩土老翁を祀っています。
塩土老翁は、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くし困っていた所に現れ知恵を授けた神です。塩土老翁は、海の神として描かれています。
▼境内
五龍神
▼赤龍神
赤龍神像は、一の鳥居をくぐってすぐ右側に鎮座しています。
▼黒龍神
黒龍神像は、北参道入ってすぐのところに鎮座しています。
▼青龍神
青龍神像は、大鵬の土俵のある境内東側に鎮座しています。
※金龍神は拝殿の中で撮影禁止と書かれていました。
御神木
御神木の周りを回って参拝できます。(くれぐれも神気を頂こうとしてむやみにご神木に触れてはいけませんよ)
境内スナップ
▼龍神池
こちらの龍神池には、絶滅危惧種のミナミメダカが生息しています。
▼子育て親子石
大小の岩が、親子が寄り添ううように並んでいることから子育て親子石と呼ばれています。子育てで悩んでいる方、撫でに行ってください。
▼子育て犬
子育て・出産に縁起の良い木彫りの彫刻です。これも皆で撫でてください。
▼大鵬石碑と土俵
昭和の大横綱大鵬は田無神社と縁が深く、田無神社崇敬会初代会長を務めています。
▼楠木正成像
楠木正成は南朝方の武将で、関東にはあまりゆかりのない武将ですが、子孫が田無神社の分社である尉殿神社の近辺に移住したとされています。そんな関係から尉殿神社を守護したとの言い伝えがあり、何時しか石像が祀られたようです。
▼撫龍
こちらは新しく平成26年東参道が整備されたときにできたものです。
龍と玉を撫でると運気が向上するご利益があるようです。龍頭と玉は色が変わっています。
御朱印
初穂料・・・300円
授与所:二の鳥居をくぐって右側にあります。
▼授与品
周辺情報
道を隔てた向かい側に元別当寺だった総持寺があります。一般が参拝できるスペースはさほど大きくありませんが、かなり広いお寺さんです。
関連差ページ:西東京市の総持寺|関東三十六不動尊霊場
基本情報
所在地 | 〒188-0011 東京都西東京市田無町3-7-4 |
電話 | 042-461-4442 |
公式HP | http://tanashijinja.or.jp/index.php |
主祭神 | 大国主命・級津彦命・級戸辺命 |
社格 | 旧村社 |
創建 | 正応年間(1288〜1293)もしくは建長年間(1249〜1256) |
例大祭 | 毎年10月第二日曜日とその前日 |
アクセス | 西武新宿線「田無駅」北口より徒歩6分 |
まとめ
敷地はそこそこ広いのですが、多くの社などが立ち並び広いという感じはありません。
ただ見所満点の神社という言う感じです。
龍を御祭神としているせいか、雰囲気が他の神社と大きく違います。(頼りになると言った感じですかね!!)
神獣最強の龍を祀っている神社ですから強いパワーを感じるのですが、一方でとても和める神社です。
こちらの五龍は、とても人が好きなのかもしれませんね。
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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