靖國神社:神妙な空気感に緊張
久々に参拝して思ったのは、とにかく大きい神社だな〜と素朴な感想と神妙な気分でした。
靖国神社は、東京では数少ない勅祭社の神社です。東京の勅祭社は、あと明治神宮のみです。
勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のことである。(Wikipediaより引用)
神社としての格式が、高いということですね。格式が高いからというわけではありませんが、参拝していると不思議と身が引き締まるような気がしました。靖国神社の空間は、やはり他の場所とは違う世界を感じてしまいます。
参拝日2022年6月26日
▼目次
沿革
靖國神社は明治2年(1869年)に、明治天皇の発願により建てられた招魂社が起源となっています。
招魂社は、国家のために尊い命を捧げた人たちの御霊祀るための施設でした。
幕末から明治にかけては、戦いや暗殺などにより多くの人命が失われた時代でした。
明治天皇はこうして失われた命を、鎮魂するための供養施設を望み、招魂社が建てられたのです。
明治12年(1879年)6月4日に社号が、「靖國神社」という現在に連なる名前に変更されました。
「靖國」という社号は明治天皇が命名され、意味は「国を靖(安)んずる」ということです。
さらにわかりやすく言うと、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という意味になります。
戦前には各府県ごとに護国神社を建立し、市町村ごとには忠魂碑が設立され始めます。それらの頂点にあるのが、靖国神社だったわけです。ここに戦前の「英霊」奉賛体系が、整備されたわけです。
戦後になり政教分離がなされ一神社になったのですが、靖国神社は「神社本庁」に属さない神社です。
多くの神社が「八百万神」を祀るためのものですが、靖国神社は「英霊」奉賛の精神が残っているため一部の人たちからは忌み嫌われています。
靖国神社はA級戦犯14人を合祀しなどがあり一部新聞が批判し、それに乗じて他国からも批判を受ける存在となっています。
政治的にいろいろあるでしょうが、我々は静かにお参りしたいものです。
ご祭神とご利益
ご祭神・・・246万6千余柱に及ぶ神霊(護国の英霊)
幕末・明治維新から第二次世界大戦までに戦争や暗殺により亡くなられた方々を英霊として祀っています。
境内散策
東京メトロの九段下駅から靖国通りを、日本武道館方面に歩いていくと5分ほどで靖国神社に着きます。田安門のところで、左に行けば日本武道館、斜め右には靖国神社の第一鳥居が見えて来ます。
▼狛犬
まずは狛犬が迎えてくれます。靖国通りからすぐ見える狛犬はなかなか強うそうな感じですが、その後ろの狛犬はちょっとお茶目な顔立ちをしています。多くの神社は鳥居の後ろに狛犬が鎮座していますが、靖国神社はまず狛犬がお迎えしてくれます。
▼二列目の狛犬
奥側左の狛犬は、背中に小さい狛犬を乗せています。他の神社でも狛犬が、子供を連れている図のものがありますよね!
▼第一鳥居
靖国通りから靖国神社に入っていくと、最初は軽い坂道を登っていくことになります。
この第一鳥居は、おそらく東京の鳥居では最大のものだと思います。全国でも第6番目の規模の鳥居と言われています。
第一鳥居は大正10年(1921年)に建立され、当時日本一の大鳥居とされていました。しかし長年の風雪により老朽化し昭和18年(1943年)に撤去されてしまいました。20年ちょっとで、撤去されたというのは造りに問題があったのですかね?(それとも関東大震災の影響?)
現在の鳥居は、昭和49年(1974年)に再建されたもので、高さは25mあります。
第一鳥居をくぐると、大村益次郎の銅像が聳え立っています。(大村益次郎がこの地を選定しました)
参道を直進していくと一本道が横切っていて、それを渡ると第二鳥居です。
▼第二鳥居
第二鳥居は、明治20年(1887年)に建てられたものです。第二鳥居は青銅製の鳥居としては、日本一の大きさだそうです。青銅製の鳥居は、あまり見かけませんよね。
第二鳥居をくぐると、左側に手水舎があり正面には神門があります。
▼手水舎
昭和15年(1940年)に、アメリカに在住する日本人の方々から奉納されたという巨大な手水舎です。この手水盤は花崗岩で作られており、重さは18トン以上あるそうです。戦前にこれだけの石を運ぶのは、大変でしたでしょうね。
▼神門
この神門は昭和9年(1934年)に建てられたもので、やはり大きな作りです。
神門を抜けると多くの桜の木が植えてあります。この中に、東京の桜の開花測定の標準木があります。
▼桜標準木
桜は鎮魂の花ですから、靖国神社では創建当時から多くの桜が植えられています。
▼中門鳥居
この鳥居は新しく平成18年(2006年)に建て替えられたものです。中門鳥居という言い方は珍しいですよね!普通なら三の鳥居と言うのでしょうが、以前は中門があり、門扉があったために中門鳥居と言います。
▼社殿・拝殿
拝殿は明治34年(1901年)に建てられたものです。普通の神社と同じく、お賽銭箱はちゃんとあります。
間違った認識ですが、お賽銭を入れお願い事を祈ると言うのが神社のイメージです。鎮魂の神社である靖国神社にお賽銭箱があるのが違和感を覚えてしまいました。
本来自分の願い事を神様に祈るのは不遜なことですから、私のイメージや感想は間違ったものですよね。
この拝殿の奥には、神明造銅板葺造りの本殿があります。
拝殿の右側には、御朱印所があります。
▼能楽堂
拝殿で祈願し御朱印をいただき拝殿を後にしました。拝殿を背にして左斜め前には、能楽堂があります。
この能楽堂は明治14年(1881年)に東京・芝公園に建てられたものを、明治36年(1903年)に靖國神社に移築したものです。
中門鳥居背にして左方向に歩いていくと、正面に遊就館、左側に参集殿があります。
▼遊就館
遊就館は明治15年(1882年)に開館したもので、遺品などを収蔵、展示しています。平成14年(2002年)に改修、増築工事がされています。
入場料
大人・・・1000円
大学生・・・500円
中高校生・・300円
小学生以下・・・無料
▼参集殿
平成16年(2004)に建て替えられたもので、まだ真新しい建物です。個人や団体で正式参拝するときの受付や控え室になります。
遊就館から左方向に歩いていくと綺麗な休憩所があり、休憩所の反対側には我々が入ることがほぼない到着殿があります。
▼参拝者休憩所
ここで一服できます。
▼到着殿
昭和8年(1933年)に建てられ、皇族や要人をお迎えするところです。
到着殿を左に見ながら靖国神社のさらに奥に進んでいくと、神社というより庭園といった場所に着きます。
▼行雲亭
現在でも使われていて、茶道教室が開かれています。外から見えませんが行雲亭の奥には、相撲場があります。この相撲場では、春の例大祭の折に横綱による奉納相撲が行われています。
▼洗心亭
こちらも茶室です
▼靖泉亭
こちらも茶室です、靖国神社内には茶室が多いですね。
▼神池庭園
明治の初めごろに作られたものを、平成11年(1999年)に復元工事で再建されています。
このあたりが靖国神社の一番奥で、ぐるっと回っていくと本殿の左側に出ます。
ここには梅園があり、梅のシーズンでない今は静かな雰囲気です。
▼梅園
正面から拝殿を見てその左側には、元宮・鎮霊社というお宮があります。
▼元宮・鎮霊社
元宮は、明治維新のさきがけとなって斃れた志士の霊を祀るため同士によって京都に建てられたもので、70年後の昭和6年(1931年)に靖国神社に奉納されています。
一方鎮霊社は、戦争や事変で亡くなられたけれど靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965年)に建てられたものです。
これでざっと靖国神社を一周して来ました。
御朱印
初穂料・・・500円
御朱印所:拝殿右側
靖国神社閉開時間
開門時間 | 通年:午前6時 |
閉門時間 | 1, 2, 11, 12月:午後5時
3月〜10月:午後6時 |
周辺情報
靖国通りを新宿方面に歩き市ヶ谷駅でお濠を渡るとすぐに八所八幡神社の一つ亀岡八幡宮があります。歩いて10分くらいで着きますよ。
関連記事:市谷亀岡八幡宮:江戸城西方の守護
基本情報
所在地 | 東京都千代田区九段北3丁目1番1号 |
電話 | 03-3261-8326 |
公式HP | https://www.yasukuni.or.jp/ |
主祭神 | 護国の英霊 246万6千余柱 |
社格 | 旧別格官幣社・勅祭社 |
創建 | 明治2年(1869年) |
例大祭 | 4月22日(春季例大祭) 10月18日(秋季例大祭) |
アクセス | ・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分) |
まとめ
靖国神社はどうしても国際政治の関連で語られてしまいますが、我々国民はそういうレベルでの話とは別に亡くなった方々を弔うということで参拝すべき神社だと思います。
最初にも書きましたが、こちらの神社の空気感には特別なものを感じてしまいます。
いわゆるパワースポットというものとは違います。「神妙」なのでしょうね!
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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