新宿十二社熊野神社:中野長者ゆかりの新宿総鎮守

十二社熊野神社
熊野神社は、花園神社と並び新宿の総鎮守です。東側を花園神社、西側を熊野神社といった感じですかね。

熊野神社は西口の地下通路を都庁方向へと歩いて行き、新宿中央公園を超えたところに鎮座しています。

中央公園から直接つながっていて、公園の一部といった感じです。公園が神社の敷地、というほうが正しいかもしれません。

参拝日2021年4月27日

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▼目次

  1. 沿革
  2. ご祭神とご利益
  3. 境内Pick Up
  4. 御朱印
  5. 周辺情報
  6. 基本情報
  7. まとめ

沿革

首都高速中央環状線に中野長者橋料金所がありますが、中野長者は鈴木九郎という人物で室町時代の応永年間(1394~1428)にこの地域で財を成した人物です。

鈴木家は紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、九郎の祖先鈴木三郎重家は源義経に付き従い奥州平泉での平泉高館合戦にて討ち死にしています。重家の子孫は、そのまま奥州に住み着いたようです。

ちなみに紀州の鈴木家は熊野八荘司しょうじ(荘園の現地任官)の一家で、和歌山県海南市の藤白若一王子を守る名族です。今でも藤白に鈴木邸が残っています。

九郎の時代になり鈴木家は、現在の中野と新宿の区界あたりを開墾し財を成していきました。

奥州は馬の産地であり、馬を売って財を成したともいわれています。

このあたりからは伝説的になりますが、九郎は馬を売って稼いだ財をすべて浅草の観音様へと寄進してしまいます。

財をすべて寄進した九郎が家に帰ってみると、家じゅうが黄金で埋め尽くされていたといいます。

財を得た九郎は、自身の産土神産土神うぶすながみである熊野三山より若一王子宮を祀りました。

そこからさらに運気が上がり、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀っています。

十二所権現すべてを祀っていることから、現在新宿の熊野神社は十二社じゅうにそう熊野神社と呼ばれています。

江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれるようになり、幕府による社殿の整備や修復が行われています。

八代将軍徳川吉宗の時代【享保年間(1716~1735)】になると、紀州出身の将軍ということもあり鷹狩の機会に参拝を重ねています。

吉宗の時代には神社だけではなく周辺地域は、滝や池があり江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れ賑わっていきます。

角筈村熊野十二所権現社、世人誤て十二そうといふ。多景にして遊観多し」と『江戸名所図会』に書かれていますが、十二所を、十二社と誤って呼ぶようになったようです。熊野十二所権現を祀っていたのですが、神社の名は十二社熊野神社と現在は呼ばれています。

明治になり神仏分離令が出され、熊野権現という仏教的な呼び名が廃されます。

熊野権現から熊野神社と改称し、ご祭神は櫛御気野大神・伊邪奈美大神とし現在に至っています。

中野長者によって創建された神社とされていますが、異説もあるようです。熊野神社のHPにも書かれていますが、「一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます。」(熊野神社公式HPより引用

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ご祭神とご利益

 ご祭神 櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)
伊邪奈美大神(いざなみのおおかみ)
 相神
 御利益 商売繁盛祈願、安全祈願、厄祓、除災招福祈願、家内安全祈願、交通安全祈願、病気平癒祈願

櫛御気野大神は、須佐之男命の別名とされています。熊野本宮大社の主祭神は、家津美御子大神と言いやはりスサノオを指しています。(素戔嗚尊の表記は、各神社のHPに準拠しています)
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境内Pick Up

▼鳥居

熊野神社鳥居
鳩が映り込んでいますが、実は八咫烏かも知れませんね!

八咫烏は、神武天皇を熊野の国から大和へと導いてくれたカラスです。


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大鳥居を境内側から撮影。

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十二社通り側からの入り口


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東門・・・新宿中央公園からだとこちら側から入れます。
(こちらの門の開閉時間は、午後3時半から午前8時と書かれていますが、深夜でも神社の境内には入れるのでしょうか?)
熊野神社東門
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西鳥居・・・十二社通りへと出れます。

▼手水舎

熊野神社手水舎

熊野神社手水舎龍口
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多くの神社は、鳥居をくぐるとすぐに手水舎がありますが、こちらの神社は神楽殿の奥にあります。西鳥居から入るとすぐという位置関係です。

▼狛犬

熊野神社狛犬右

熊野神社狛犬左

各神社の狛犬は個々に特徴があります。こちらの神社の狛犬は、頭に角があります。

角がある狛犬のほうが、形式としては古い形のものです。

▼社殿・拝殿

熊野神社拝殿
不思議と新宿の高層ビルと緑と社殿の組み合わせが、とても自然に感じられます。

さすが新宿の総鎮守といった感じです。

▼神楽

▼社務所

熊野神社社務所

▼摂社・末社

大鳥神社


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大鳥神社の狛犬は珍しく、お腹の下がくりぬかれてなく左右の足がつながっています。つながり部分に碑文が書いてあり、享保2年(1717年)に寄進したと書かれています。

角筈胡桃下稲荷社

弁天社


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境内スナップ

大田南畝の水鉢

新宿区指定有形文化財 工芸品  昭和59年11月2日指定

文政三年(一八二O)三月に奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師大田南畝(蜀山人)1749~1823)の書による銘文が刻まれています。

外部は幅150㎝、高さ40㎝、奥行64cm。内部の鉢の部分は幅126㎝、深さ23㎝、奥行40cmあります。


熊野神社境内案内板より引用

本殿の脇の柵の中にひっそりとあります。

▼延命陀羅尼二千一百万遍誦碑

元治元年(1864)に延命陀羅尼経を唱えたことを記念して建てられた記念碑で、神仏習合の時代を物語を資料です。

熊野神社境内案内板より引用

▼十二社の碑(新宿区指定史跡)

ここ十二社の池が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1851)3月に建てられました。
高さ210cm、幅119cm、幕末期に江戸市中の様子を記した『江戸繁盛記』を著した儒学者寺門静軒と、中野宝仙寺の僧侶負笈道人により、当時名高かった景勝地十二社の様子を紹介したもので、表面には負笈道人の撰になる碑文と、寺門静軒による漢詩が刻まれており、字数は262字あります。
また裏面は、負笈道人の略歴と人柄を、寺門静軒が記したもので字数は、286字に及びます。
なお、書は中川憲齋(日本書堂・大彭を号する)によるものです。

熊野神社境内案内板より引用

▼島川玄丈人壽北碑

紀州徳川家の侍医で、鍼術の大家島川草玄の長寿を祝って、紀州
藩士川合衡の撰文により、文化4年(1807)に造られたものです。

熊野神社告知板より引用

▼能勢嘉門賛碑(のせかもんさんぴ)

「清津冷一千尺 松樹森女十二層 司馬乃屋嘉門」
「の声しくれて細し滝のよれば暑さも那智の佛 山陽堂竹友」
十二社の滝と周囲の風景をたたえた記念碑です。

熊野神社告知板より引用

熊野神社の社務所わきには、多くの説明板が出ていて、ネットや書籍で得られる以上の情報を知ることができました。

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御朱印

熊野神社御朱印

初穂料・・・300円

受付時間:9:00~15:30

社務所:参道右側

御朱印は当面、書置きにて対応です。

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周辺情報

十二社熊野神社から西側に歩いて10分くらいのところに、やはり中野長者ゆかりの成願寺があります。

成願寺は、中野長者屋敷跡に建てられた寺院です。

関連記事:散策 中野長者の足跡をたどる

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基本情報

所在地 〒160-0023 東京都新宿区西新宿2-11-2
電話 03-3343-5521
公式HP https://12so-kumanojinja.jp/
主祭神 櫛御気野神
伊邪那美神
社格 郷社
創建 応永年間[異説あり]
例大祭 9月第3土曜・日曜
アクセス JR「新宿駅」(西口) 徒歩10分
都営大江戸線「都庁前駅」(A5出口) 徒歩4分
京王バス「十二社池の下」 徒歩2分
(新宿駅西口~渋谷駅、永福町、佼成会聖堂前、中野車庫行)

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まとめ

Googleマップを見ると、新宿中央公園の一部という感じの十二社熊野神社です。

新宿中央公園自体も緑が多く、熊野神社のための公園という気がします。

この一角は新宿という街を、守っている貴重な空間なのです。

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※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。

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