亀戸香取神社|勝負運が上がる、スポーツ振興の神様
亀戸天神に行く途中に香取神社を見かけましたので、ふらっと立ち寄ってみました。
関東では、香取神宮と鹿島神宮はやはり特別な存在の神社です。
この二つの神社は、日本に16しかない勅祭社の一つです。
勅祭社とは、天皇から勅使が来る特別な神社です。
その末社の一つが、亀戸にあるとは知りませんでした。
亀戸香取神社沿革
天智4年(665)中臣(藤原)鎌足が、地盤である東国へと出向いて来ました。
その当時このあたりは、現在と違いいくつかの島が点在していました。
亀戸のあたりは「亀の島」と言い、この島に鎌足が船を着けたとされています。
その際この地に中臣家の祭神である香取大神を勧請され太刀一振を納めたのが、亀戸香取神社の始まりとされています。
香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)と言います。
経津主神は武甕槌神(たけみかずちのかみ)と言う神様ととても関係が深いとされていて、両神はセットで神話にも出てきます。
この武甕槌神は、鹿島神宮の御祭神です。
香取神宮と鹿島神宮は、利根川をはさんで相対するように立っています。
神話の時代大国主命に国譲りを強要したのが、この両神様です。
ですから大和の神様では経津主神と武甕槌神はとても重要な神様で、この神様を主祭神としているのが朝廷の重臣藤原氏です。
香取神宮・鹿島神宮のある常総地方は、中臣氏(藤原氏)の本拠地です。
時代は下って平安時代中期に関東は、平将門による反乱で騒乱状態になります。
この平将門を追討したのが、俵藤太秀郷と言う人物です。
俵藤太とは俗称で、正式には藤原秀郷と言います。
藤原秀郷はこの亀戸香取神社に参籠し、戦勝を祈願して戦いに臨んだとされています。
激戦の末平将門を打ち取った藤原秀郷は弓矢を奉納し、その矢を勝矢と命名しました。
現在でもこの古事により勝矢祭が、5月5日に執り行われています。
この勝矢祭などが所以で、亀戸香取神社は「スポーツ振興の神」とされています。
亀戸香取神社Picture
鳥居
狛犬
拝殿
境内社
熊野神社 ・三峯神社 ・水神社
福神社
天祖神社(入神明宮)・稲足神社
大根の碑
今の東京では想像できませんが、この辺りは大根の産地だったようです。
力石
井戸
亀戸の地名の由来とされるこの井戸は、2003(平成15)年に復元されたものです。
亀戸香取神社基本情報
所在地 | 東京都江東区亀戸3-57-22 |
電話 | 03-3684-2813 |
kameidotenjinsha25@almond.ocn.ne.jp | |
主祭神 | 経津主神(ふつぬしのかみ) |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 寛文元年(1661年) |
例大祭 | 5月5日 |
アクセス | 総武線亀戸駅下車 北口より徒歩10分 総武線、地下鉄半蔵門線錦糸町駅下車 北口より徒歩10分 |
まとめ
亀戸香取神社の表参道は、「勝運商店街」となかなかしゃれたというかスポーツで勝つことを意識した名前の商店街です。
上の写真は商店街で見つけた謎の像です。
小さな商店街ですが、各店趣向を凝らしていて面白い商店街です。
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