英雄ヤマトタケル(日本武尊)にご縁の東京の神社

2020年3月27日

伊吹山

東京の神社や仏閣は、多くの歴史上の人物や一族との所縁が有ります。

その人物と時代背景を知っていると,寺社を巡る時視点がまた変わり、見る場所も違ったものになってきますよね!!

私は歴史は好きなのですが、それほど詳しいわけではありません。

寺社巡りの予習を兼ねて、東京の寺社と所縁の多い人物を取り上げていきます。

その第一回として取り上げますのが、ヤマトタケル(日本武尊)です。

ヤマトタケルは歴史上の人物と言ってよいのか、伝説上の人物と言ってよいのか微妙なところですが、多くの事跡を残していますので今回取り上げてみました。

(表紙の写真は、ヤマトタケル終焉の地伊吹山です。)

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▼目次

  1. ヤマトタケルの生涯
  2. 武蔵御嶽神社
  3. 妻恋神社
  4. 目黒大鳥神社
  5. 五條天神社
  6. 根津神社
  7. 鳥越神社
  8. まとめ

ヤマトタケルの生涯

日本武尊像

『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記されています。

多くの書籍では「日本武尊」と表記されていますが、このサイトではヤマトタケルとカタカナで表記します。

ヤマトタケルは、第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父、第16代応神天皇の祖父に当たります。

ヤマトタケルの父景行天皇の時代には、ほぼ統一が完了したといわれていますが熊襲や東国にはまだ不満分子がおり反乱を企てていた時代です。

そこで景行天皇は、まず熊襲にヤマトタケルを派遣しカワカミタケルを成敗します。

物語では、女装したヤマトタケルがカワカミタケルを宴会の席で討つとされています。

このカワカミタケルから勇者という意味のあるタケルと言う名前を貰い、「小碓命(おうすのみこと)」からヤマトタケルと改名しました。

これがものすごく大雑把に書いた、熊襲征伐の概略です。

「日本書紀」と「古事記」とでは、細部のディテールが違いますが大枠は同じです。

九州の帰りヤマトタケルは、さらに出雲へと赴きやはりイズモタケルを討ち取り大和へと凱旋しています。

この二人のタケルを討ち取るのは結構だまし討ちのようで、後半の東国遠征と違い知略を用いています。

ヤマトタケル東国遠征

熊襲征伐から帰国したヤマトタケルは、父景行天皇から東国征伐の命を受けます。

帰国し休む暇も与えられず、直ぐに戦地へと赴かなければならなく「父天皇は自分に死ねと思っておられるのか」と嘆いたと「古事記」では伝えています。

しかし「日本書紀」では、東国遠征を命じられた兄大碓命(おおうすのみこと)が、怖気ず気逃げだしたので、ヤマトタケルが立候補し出征したとされています。

 

東国遠征の途中伊勢に立ち寄り、叔母に当たるヤマトヒメに会い神剣天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と秘密のアイテムお授かり一路東国へと赴きました。

 

東国に向かったヤマトタケルは、相模の国に入りそこで欺かれ火攻めにを受け絶体絶命のピンチに遭います。

「ピンチにあったら開けなさい」と授けられた秘密アイテムを開けるとそこには火打石が入っていました。

ヤマトタケルは、神剣で草をなぎ倒し火をつけ炎を退けることに成功し見事脱失に成功しました。

神剣天叢雲剣は、草を払った剣ということで草那藝剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになりました。(草薙剣とも表記します)

ヤマトタケルをだまし討ちした国造たちは、すべてヤマトタケルに切り倒されています。

死体はすべて焼かれ、その場所を焼遣(やきづ=焼津)と言うようになったとされています。

 

相模の国を治めたヤマトタケル一行は海を渡り、現在の千葉県上総国へと赴きました。

この航海でもまた荒ぶる神の力で、大変な苦難を強いられてしまいます。

この荒ぶる神を鎮めるために后の弟橘比売(おとたちばなひめ)自らの命を差し出し、海へと入水してしまいました。

ヤマトタケルの物語中最大の悲劇です。

荒ぶる神の怒りは治まり、ヤマトタケル自ら船を漕ぎ上総国へとかろうじてたどり着きます。

数日後姫のくしが海岸に流れ着き、御陵を造って櫛を収めたと伝わっています。

 

オトタチバナの姫
(オトタチバナの姫入水)

 

ヤマトタケルはこの後、宮城・関東・山梨・長野あたりを傘下に収め、尾張に向かいそこで最後を迎えます。

表紙の写真は伊吹山ですが、ここの神と素手で戦い打ち負け最後を迎えてしまうわけです。

神剣は、何故か妻のミヤズヒメ(美夜受比売)に預けたまま山の神と対峙してしまいます。

一つ気になるのが、オトタチバナヒメを亡くしたばかりなのに、尾張につくなりミヤズヒメと結婚するところが古代ですよね。

ミヤズヒメとは東国遠征の途上に婚約しており、尾張にもどり離れていた二人はめでたく結婚しました。

 

以上がヤマトタケルの有名シーンのダイジェストです。

話のベースは、古事記を採用しています。

日本書紀のヤマトタケルは、もっと猛々しい英雄です。

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武蔵御嶽神社

東京の奥多摩に鎮座するのが、武蔵御嶽神社です。

神社の創建は、ヤマトタケルの4代前の崇神天皇の時代と言われています。

ヤマトタケルは東国征伐の際この御岳山中に陣を張り西北に進もうとすると、深山の邪神が巨大な白鹿となりヤマトタケル一行の行く手をふさぎました。

そこでヤマトタケルは、野蒜(ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属の多年草)をつかい大鹿を撃退するのですが、撃退と同時に濃い霧が立ち込め一行は道に迷ってしまいました。

困り果てているヤマトタケルの前に、一匹の白狼が現れ一行を西北へと導いてくれました。

ヤマトタケルは白狼にこの地を守るようにと命じ、『大口真神(おおぐちまがみ)』としてこの地の魔物を対治する役に付けました。

現在武蔵御嶽神社では、おいぬ様として多くの信仰を集めています。

大口真神は、盗難除け・魔よけの神様として信仰されていますが、それだけではなく多くの愛犬家からも信仰を集めています。

武蔵御嶽神社では、愛犬祈願も承っているようです。(詳しくは>>>

ヤマトタケルを祀る奥の院は、本殿から徒歩で40分ほど山の中を行ったところにあります。

住所:東京都青梅市御岳山176

アクセス

・御岳登山鉄道ケーブルカー御岳山駅徒歩25分



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妻恋神社

妻オトタチバナヒメを思いながら宿営した跡地に建てられたのが、この妻恋神社です。

住所: 東京都文京区湯島 3-2-6

アクセス

・JR御茶ノ水駅聖橋口から徒歩10分程


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目黒大鳥神社

東国征伐の祈願のために立ち寄ったのが、この目黒大鳥神社です。

必勝祈願と部下の目の病気平癒をこの神社で祈り、東国平定後愛剣「十握剣(とつかのつるぎ)」を奉納したとされています。

部下の目も治癒し、盲神(めくらがみ)とヤマトタケルが讃えたと伝わっています。

ヤマトタケルは死後は白鳥になって故郷へ帰ったと伝わっていますが、社伝によると目黒大鳥神社にも飛翔してきたとされています。

そしてその白鳥を、鳥明神として祀ったとも記されています。

住所:目黒区下目黒3-1-2

アクセス

・JR山手線目黒駅西口下車徒歩7分



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五條天神社

五條天神社
上野公園内にある五條天神社は、多くの苦難の末上野の地にたどり着いたヤマトタケルはこの旅を守ってくれた医薬祖神に感謝し、この地に医薬祖神を祀ったのが起源とされています。

主祭神は大己貴命・少彦名命となっています。大己貴命は大国主の別名のひとつです。

住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園4-17

アクセス

・JR・東京メトロ日比谷線・銀座線「上野駅」(公園口) 徒歩3分
・京成線「京成上野駅」 徒歩3分

関連記事:五條天神社|ヤマトタケル由来の医薬祖神を祀る上野の天神社


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根津神社

根津神社本殿

文京区根津にある根津神社もまた、ヤマトタケルが創建したという言い伝えがあります。

ヤマトタケルがこの地で、戦勝を祈願して須佐之男命を祀ったとされています。

※スサノオ尊の表記に関して根津神社のHPでは「須佐之男命」とありますので、当サイトでは通常「素戔嗚尊」と表記してますがこの項は「須佐之男命」と表記してます。

住所:東京都文京区根津1-28-9

アクセス

・東京メトロ:千代田線「根津駅」・「千駄木駅」徒歩5分

・東京メトロ:南北線「東大前駅」徒歩5分

・都営地下鉄:三田線「白山駅」より徒歩10分

関連記事:根津神社|江戸の建物が残る古社


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鳥越神社

鳥越神社

鳥越神社は、ヤマトタケル創建の神社ではありませんが、地元の人たちがヤマトタケルを祀って、白鳥神社と称したのが始まりとされています。

鳥越神社の起源はとても古く、白雉2年(651年)とされています。

日本武尊は死後白鳥となり故郷へ向かったという故事にちなみ、ヤマトタケルを祀っている神社には「鳥」の字が使われることが多いようです。

住所:東京都台東区鳥越2-4-1

アクセス

・JR総武線「浅草橋駅」(西口) 徒歩8分
・都営浅草線「蔵前駅」 徒歩5分
・都営大江戸線「新御徒町駅」 徒歩8分
・都バス「蔵前一丁目」 徒歩5分


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まとめ

最後にもう一つエピソードとして書いておきたいのが、「武蔵」という地名の由来の件です。

武蔵と言う地名の由来は、諸説あり定説はまだ確定していないようですが、ヤマトタケルの伝説も含まれています。

東国を平定したヤマトタケルは、秩父の武甲山に武具を納め奉納したと伝わっています。

武具を蔵に納める、すなわち武蔵ということです。

東国を駆け巡ったヤマトタケルを夢想しながらゆかりの神社を周ってみたいものです。


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