何故法事は、一周忌の次が三回忌なのか?

一周忌と三回忌

私はすでに両親を看取っていますので、もう一周忌も三回忌も二度経験しています。

親の代からの東京在住ですから、東京には菩提寺が有りません。

私の母の実家が寺なもので、何となく流れでそこが菩提寺になっています。(場所は新潟です)

古くから江戸・東京に住んでいる人をのぞけば、新東京人はたいがい宗教行事はやらないか簡素なものだと思います。

両親の法事はやりましたが、我が家も内うちだけで簡素に行いました。

ふと疑問に思うのが、一周忌の次が何故三回忌?ということです。

一の次が三?今回は、この疑問を調べてみました。

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回忌と祥月

何気なく法事の時使っている言葉ですが、意外に詳しい意味を知りませんよね。

まず回忌ですがこれは、命日と同じ意味で故人が亡くなった日のことです。

月命日は、月忌(がっき)とも言います。

次に祥月ですが、故人が亡くなり一周忌以降の亡くなった月のことをさす言葉です。

祥月命日は、亡くなった月日という言葉となるわけです。

回忌・・・故人の亡くなった日(命日)

祥月・・・故人の亡くなった月

法事の起源は儒教

インドで生まれた仏教は、中国を経て日本に伝わりました。

仏教は中国で儒教や道教を加え、インドで発祥した仏教とはだいぶ趣を変えています。

故人の死亡した日を忌日(きにち/きじつ)といい、年に一度巡ってくる死亡月の忌日を祥月命日という。祥月は正忌月のことで、正月(しょうつき)と書くべきであるが、年の始めの正月(しょうがつ)と間違えやすいので、儒礼でいう小祥忌(しょうしょうき)(一周忌)、大祥忌(三回忌)の祥をとって祥月と書くようになったものである。祥月命日の仏事はすでに11世紀に京都の貴族の間で営まれていたが、庶民の間に一般化されるのは15世紀以降のことである。[藤井正雄]

出典:コトバンク

故人が亡くなり最初の年に小祥忌お行い、二年目に大祥忌を儒教で行っていたものを仏教にも取り入れたということです。

一周忌と三回忌

儒教で行われた供養方法は、奈良時代持統天皇の時代には、一周忌をしたという記録が出てきます。

さらに平安時代になると、三年目に祭祀を行った記録が出てきます。

平安末期になり個人の年忌が、営まれるようになってきます。

一周忌は命日の翌年、すなはち一周目に行うので一周忌と呼びます。

回忌は亡くなったその年が一回忌と数えますので、二年目の回忌(命日)は三回忌と言う数え方をするわけです。

弔い上げ(とむらいあげ)とは?

三回忌以降は、7・13・17・23・27・33・37・50回忌と続いていきます。

ただどこかで法事も終わりが来ます。

通常三十三回忌か五十回忌で弔い上げを行います。

10年ほど前母方の祖母の三十三回忌に臨席しましたが、その時叔父が「住職とも相談し、三十三回忌で弔い上げにします」と兄弟・親戚に語っていました。

三十三回忌位が故人を覚えている人が残っている限界で、今では五十回忌を弔い上げにすることは少ないようです。

弔い上げをすますと故人は、ご先祖様の仲間入りします。

まとめ

日本人の死生観は、普通の人が亡くなりある期間を過ぎると祖霊・守護霊となり生きている人を見守りしてくれていると考えています。

故人やご先祖様に感謝を込めるという意味でも、仏教行事は日本人として続けていきたいものです。

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