知っているようで知らない、お盆とお彼岸の違い

お盆・お彼岸

お盆の時期が来れば、あ~お盆だなと思いご先祖様を供養し、お彼岸が来ればいそいそとお墓参りをします。

こう考えると年3回ご先祖さまや故人を、供養していますよね。

でもその根本的な違いって意外に知りませんよね。

今回は、お盆とお彼岸の違いやその起源について調べてみました。

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▼目次

    1. お盆の起源
    2. お彼岸の起源
    3. 法要
    4. まとめ

お盆の起源

お盆の時期になると東京のご家庭では少ないですが、僧侶の方が自宅に訪れお経を上げてくれます。(お盆の習慣は地方により異なります)

ですからお盆と言えば仏教の行事で、その起源はインドと思ってしまいますよね!

でも原始仏教には、先祖供養とか死後の世界に関する考え方はありません。お釈迦様は、今に生きることを中心に教えを説いていますから、死後や霊魂に関しては語っていません。もちろん、経典により差異がありますから仏教全体とは言えません。

先祖供養の思想が入ってくるのは、仏教が中国にわたりその社会と融合し出てきます。

普段お盆と言っていますが、正式には「盂蘭盆うらぼん」と言い、中国で成立した「盂蘭盆経」に基づいています。

盂蘭盆経は、お釈迦様の十大弟子のひとり摩訶目犍連まかもっけんれん(目連)の説話が中心となっています。

目連は釈迦十大弟子の中でその神通力は一番と言われています。その目連は7月15日の安居あんごという集団での修行中に亡くなった母親の姿を透視したところ、餓鬼道に堕ちている母の姿を発見してしまいます。

母親は喉を枯らし飢えていたので、目連は水や食べ物を与えようとしましたが、それらはことごとく口に入る直前に炎となって消えてしまいました。

困り果てた目連は、お釈迦様に相談をします。

お釈迦様は、「安居の最後に比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入る」と説いてくれました。

これは神通力第一の目連が、その力を自分のためだけに使うのではなく、多くの人のために使うことで、人々が喜ぶことでその力が餓鬼界へもつながっていくというお釈迦様の教えです。

目連はお釈迦様の言葉に従い、比丘のすべてに布施を行うと比丘たちは大いに喜んでくれました。

この行いにより、目連の母親は永遠に近い時間苛まれる餓鬼界を脱することができました。

この説話が元になり、中国などでは7月に先祖の追善供養が行われるようになり、仏教の伝来とともに日本に伝わり定着しました。

ちなみに盂蘭盆とは、炊かれた米飯を盛る容器だとする説があります。

日本でお盆の供養がされたのは、600年代頃とされていますが、その頃は宮中で行われるだけのものでした。

仏教が普及し、7月15日(旧暦)頃は秋の収穫祭の時期とも近く、元来先祖供養を重要視する国民性ともマッチしお盆は庶民にも浸透していきます。

鎌倉時代ころに、お盆は現在の形に近いものが成立しています。


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お彼岸の起源

お盆の起源が中国でしたから、お彼岸もやはり中国起源と考えてしまいますが、これは日本が起源の行事です。

ですが「彼岸」という言葉は仏教用語で、サンスクリット語の「パーラミター」を音写した「到彼岸」が語源とされています。

我々が住んでいる煩悩にまみれたこの世界を「此岸しがん」と言います。それに対して迷いがなく調和の取れた仏の世界を、「彼岸」と言います。

到彼岸」とは、仏の世界へと到達するための修行のことを意味します。

もともとの彼岸は、先祖供養やお墓参りとは全く関係のない言葉だったわけです。

ところが中世になり浄土思想が盛んになる民間信仰と結びつき変化が出てきます。

その頃、太陽が真東から昇り真西に日が沈むときに阿弥陀如来に祈ると、極楽浄土へ行けるという信仰が生まれます。

この日を中心に、前後三日間がお彼岸の時期となりました。

更に時代が下り江戸時代になると、彼岸という悟りの開かれた仏の世界と、生きている人の世界とが融合して、死者を供養する日となっていきます。


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法要

お盆やお彼岸のときには各寺院では、各法要が行われます。

お盆のときには、盂蘭盆会や施餓鬼会が行われ、お彼岸には彼岸会が行われます。

盂蘭盆会

先に書きましたが、目連が、僧たちにお布施したというところから、人々が集まり集うことが一つの法要となっています。

集う事が重要になり、お盆の時期に実家などに集まることが今でなされているわけです。

日本のお盆は、盂蘭盆会の「餓鬼道に堕ちた者を供養によって救う」という仏教に加えて、日本固有の先祖供養や精霊信仰などが融合して現在の形になっています。

現在のような迎え火・送り火でご先祖様を送り迎えし、、精霊棚を設け僧侶に棚経を読んで貰う形になったのはやはり江戸時代になってからのことです。

お盆の時期には各地では、京都の「五山の送り火」、岐阜の「郡上おどり」、徳島の「阿波踊り」、長崎の「精霊流し」など特有の行事が全国に数多くあります。

施餓鬼会

お盆の時期に行われますのでお盆の行事のような気がしますが、また違った仏教行事です。

やはり釈迦の十大弟子の一人阿難陀あなんだ(阿難)が、餓鬼に自らの死を予言されてしまいます。

阿難はお釈迦様に相談し、陀羅尼だらにを唱えながら餓鬼に供物(食事)を施すと、餓鬼は喜び阿難の寿命も伸びました。

先程からよく餓鬼道という言葉が出てきますが少し解説すると、仏教では6つの世界がこの世にありこれを六道と言います。六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道の6つの世界のことです。生きているものが死ぬと、この6つの世界の一つに生まれ変わっていきます。これを六道輪廻・輪廻転生という仏教の思想です。

餓鬼道はその一つで、欲の強い人で特に食欲の強い人間がが転生する世界。この世界は不浄で、そこの住民は常に飢えと渇きにさいなまれる世界となっています。

目連の母親は、こんな世界に落ちてしまったのですね。

彼岸会

日本独特の法要で、インド中国には存在しません。春分・秋分の日、前後3日間を彼岸と言います。

一般的に僧侶により法要が営まれ、在家(一般人)の人たちは墓参りを行います。


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まとめ

お盆は中国から伝来したものですが、日本の固有の信仰と結びつき独特なものとなっています。

盆踊りなどは、その最たるものです。

お彼岸は仏教の経典をベースにしていますが、日本独自のものです。

お盆とお彼岸の大きな違いは、お盆は先祖や故人の霊をお迎えし、お彼岸は先祖や故人を供養しに行く日ということです。

お盆の日は、ハロウィなどと同じく霊界と現世の間の門が開く特別な日です。

お彼岸の日は、太陽が真東から昇り真西に沈む日は、季節の変わり目であり、農耕民族にとっては重要な日なのです。

こういう重要な日が、仏教の経典と結びついたとも言える日なのです。

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