梅照院:目の薬師・子育て薬師と親しまれている新井薬師

2021年12月8日

梅照院 本堂

中野に用があり、久々に中野駅周辺に行きました。

中野駅から近くにある寺院はないかと調べたところ、宝仙寺と今回うかがった梅照院が候補にあがりました。

梅照院は2014年に参拝したことがあるのですが、その時は御朱印をまだ集めていなかったので頂きに行きました。

宝仙寺は中野一の古刹なのですが、中野駅からだと徒歩で25分ほどかかるし、帰りのルートが不便なので今回はパスしてしまいました。

2014年に参拝したときは境内の撮影で特に掲示はなかったのですが、今は境内の撮影が禁止になっていました。今回の記事の写真は、2014年に撮影したものです。

梅照院は一般的には、新井薬師と呼ばれています。西武新宿線の駅も、「新井薬師」と言います。

ですから、梅照院と言っても何かピンとこない人が多いと思います。

毎月8の日は、縁日で多くの屋台が出てにぎわいます。子供の時来たことがあるのですが、盆栽が売られていたような記憶があります。

本堂の写真は2014年に撮影したものですが、現在本堂の入り口はビニールシートで遮断されていて中がほとんど見えません。

この当時は丸見えだったので、薬師十二神将がはっきりと見えていました。

参拝日2021年11月16日

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▼目次

  1. 沿革
  2. ご本尊とご利益
  3. 境内Pick Up
  4. 御朱印
  5. 周辺情報
  6. 基本情報
  7. まとめ

沿革

室町時代の末期に相模国から行脚していた行春という沙門が、新井の地に草庵を開いたのが当寺の始まりとされています。(公式ホームページには鎌倉時代末期と記されていますが、文脈からすると室町末期が正しいようなので、あえて室町末期と記しました)

「江戸東京の寺社609を歩く」(槇野修著)には行春は、真言密教の修行者と記されていますが、寺院のパンフレットには沙門とされています。

沙門は僧を指す言葉ですが、コトバンクによると「「つとめる人」の意。ゴータマ・ブッダとほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たちをいう。本来は仏教に限らず用いられたが,仏教でも出家して修行を実践する人々を沙門と称する。」とされています。

また沙門は、「シャーマン」からきているという説もあります。

梅照院のパンフレットに行春を僧ではなく沙門と表現したのは、正式な真言宗の僧侶ではなかったからと想像しています。

寺院の創建には神秘がつきものですが、この草庵の近くの梅の古木が毎夜毎夜光出したといいます。不審に思った行春が探ると、洞の中に小さな仏像が収まっていました。

この仏像は、鎌倉末期に活躍した新田氏の守護仏だったのです。この仏像は、忽然と消えてしまっていたのです。(この仏像が消えたので新田義貞は、足利尊氏に討たれてしまったのですかね?仏像が消えた年代が特に記されていませんから、義貞の時代に仏像があったかなかったかは分りませんが)

この出来事は、天正14年(1586年)3月21日とされています。本能寺の変が天正10年ですから、このころはほぼ豊臣秀吉が旧織田家の勢力圏を掌握した時代です。

行春はこの仏像を安置するための小堂を建て、これがこちらのお寺の創建となっています。

この出てきた仏像は二仏一体と言い、薬師如来如意輪観音が一体となっています。高さは、一寸五分と言いますからミニチュアサイズの仏さまです。この仏像は秘仏となっていて普段は見ることはできませんが、寅年にのみ公開されています。

この不思議な逸話により、薬師如来と如意輪観音の話題は広まり、多くの信仰を集めることとなりました。

江戸時代になると二代将軍徳川秀忠の娘和子(慶長12年-1607年生まれ)の眼病がこちらの薬師に祈願することにより瞬く間に平癒し、その評判はさらに広がることになりました。

和子の眼病が治ったことにより、「目の薬師」として崇められることとなりました。

また、梅照院五代住持の玄鏡は、薬師如来からの啓示を受け「小児薬」を調合し、これがまた薬効が高く「子育て薬師」と言われるようになります。

これが元和3年(1617年)のことで、大坂の陣が慶長20年(1615年)に収束し豊臣家が滅び徳川体制が盤石になったころの出来事です。

冶眼と子育てへの信仰は、江戸時代から始まり現代まで続いています。

写真は取れなかったのですが、梅照院の絵馬は変わっていて「め」の字が二つ書かれた特徴的な絵馬です。

梅照院のお守り>>

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ご本尊とご利益

ご本尊 薬師如来、如意輪観音
ご本尊は秘仏で、寅年にご開帳されます。
御利益 眼病・子育てにご利益があります。

山門を入り右側にある、「お願い地蔵」は我々をお守りしてくれる尊い仏様ですが、特に子供を守ってくださります。地蔵尊は、我々の願いを一切をその身に引き受けてくれます。その地蔵尊を、札所にある和癒札を濡らし地蔵尊像を清めます。(コロナ感染防止のため現在休止中)

2014年に参拝したときは、多くの布が置いてありました。(下の写真参照)

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境内Pick Up

▼山門

梅照院 山門

梅照院 石碑

▼お願い地蔵尊

梅照院 お願い地蔵尊

梅照院 猫

お願い地蔵尊の後ろには不動堂がありますが、そこに鎮座していた猫です。(2014年撮影)

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御朱印

新井薬師御朱印

初穂料・・・300円

寺務所:本堂右脇

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周辺情報

梅照院は中野通りの近くにあるのですが、通りの反対側には北野神社が鎮座しています。

おおとり神社(高木神社)が末社にあるようで、酉の市を開催する神社となっています。

神社にはよく「力石」が奉納されていますが、こちらの神社は13個もの力石が保存されています。これは、ちょっと見ない数の力石です。

こちらの北野神社も、境内の撮影は禁止となっています。御祈祷を受けた方に限って、撮影許可が出るようです。

この北野神社の横には新井薬師公園がありますが、そこに「ひょうたん池」があります。普通公園の池は釣りは禁止ですが、ここは解禁されているようで2・3人のご老人が釣りを楽しんでいました。

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基本情報

所在地 東京都中野区新井5-3-5
電話 03-3386-1355
公式HP https://www.araiyakushi.or.jp/
山号 新井山
宗派 真言宗豊山派
御本尊 薬師如来、如意輪観音
創建年 天正4年(1586年)
開山 快儀
開基 行春
正式名称 新井山 梅照院 薬王寺
札所等 御府内八十八箇所 71番
新東京百景
アクセス 西武新宿線 新井薬師前駅下車 徒歩5分

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まとめ

ここの地名は新井と言いますが、ここは水の豊富なところでどこを掘っても水が出てきて井戸がすぐ掘れたので新井と名付けられました。

やはり写真はないのですが、梅照院の「白龍権現水」は清水として有名です。(本堂の裏側。水の持ち帰りは禁止です)

新井薬師駅から隣の沼袋駅にかけて4件ほどの豆腐屋さんが点在しています。やはり水が良いので、味がよく行列ができているお店もあります。

やはり水が良いので、そばもうまい店があります。

そばと豆腐を食べに新井薬師に行くのもよいです。

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※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。

追記:少し紛らわしいのですが、西新井大師さんと新井薬師は別物のお寺さんです。ただ共に真言宗豊山派のお寺さんです。

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