市谷亀岡八幡宮:江戸城西方の守護

市谷亀ヶ岡八幡宮

江戸八所八幡宮巡りを計画してから、はや2年半が経てしまいました。

コロナ禍でこの二年間は、近在の寺社仏閣しか参拝ていませんから仕方のないことです。

そうとは言え江戸八所八幡宮巡りも、こちらの市谷亀岡八幡宮いちがやかめがおかはちまんぐうで五社目となりました。

市ヶ谷の駅を出て、外堀を渡るとすぐに当神社があります。

市谷亀岡八幡宮は階段が急で、下から見上げると鳥居は見えますが下の方は見えません。

愛宕神社の出世石段を、思い出させる急な階段です。あちらの階段の方が、さらに長いですが!

階段を登りきると、静かで緑に囲まれた空間がありました。梅雨時の参拝でしたから、境内には私だけす。

こちらの神社の名称は、市谷亀岡八幡宮と「ヶ」の字が入らないようですが、現地に訪れてみると神社の石碑は「市谷亀ヶ岡八幡宮」と「ヶ」の字が入っていました。

市谷亀岡八幡宮石碑

でも提灯や公式HPは「亀岡」表記になっていましたので、ここでの表記は亀岡で統一しています。

関連記事:江戸庶民の楽しみ江戸八所八幡神宮巡り

参拝日2022年6月7日

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▼目次

  1. 沿革
  2. ご祭神とご利益
  3. 境内Pick Up
  4. 御朱印
  5. 周辺情報
  6. 基本情報
  7. まとめ

沿革

市谷亀岡八幡宮の創建は、文明11年(1479年)に太田道灌江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりとされています。

縁起物の「鶴と亀」から、当神社は亀岡八幡宮と名付けられたと言います。

江戸城はその後も増築され外堀ができると当神社は、外郭の地である市谷稲荷社内に遷座せんざしています。

市谷稲荷神社は、後ほど摂社・末社のコーナーで詳しく書きますが、現在茶ノ木稲荷神社として当地に現存しています。

太田道灌は戦国時代初期の武将ですが、戦国時代末期の天正年間になると当神社は戦火で破壊されてしまいます。(天正年間は、本能寺の変などがあった時代で、江戸は小田原北条氏により支配されています。)

当神社の別当源空少僧都しょう‐そうずにより自力で再建しましたが、その規模は往年のそれには大きく及びませんでした。

江戸時代になると、規模が縮小してしまった市谷亀岡八幡宮に大きな転帰が訪れます。

三代将軍徳川家光は当神社へ多大な資金をつぎ込み、さらに元禄十五年五代将軍綱吉の母桂昌院が亀岡八幡宮の来歴を聞きおよび、神輿のないことを悲しみ黄金を寄進しています。

八幡神は源氏の氏神であり源氏の末裔である徳川家は、八幡宮・神社を庇護しています。(徳川氏は、源氏の新田氏ゆかりの氏族とされています。新田氏の武将としては、鎌倉末期に新田義貞が有名です。)

将軍家の加護を受けた亀岡八幡宮は興隆していくのですが、亨保十年(1725年)に青山から出火した火事により本殿から楼門、鐘楼などすべてが灰燼と化してしまいました。

二年後の亨保十二年には再建工事がはじまりましたが、楼門が随身門になり、鐘楼が平棟になるなど、元禄時代の隆盛は取り戻すことができませんでした。

明治時代になると政府による神社管理がなされ、当神社は仏殿や芝居小屋、茶屋などが廃止され、跡地は植樹され賑わいは消え静かな面持ちの神社となりました。

第二次世界大戦中の昭和二十年五月二十五日には、空襲によって社殿すべてが全焼してしまいます。

またこの時このとき、高さ五丈(約十五メートル)、周囲一丈五尺(約五メートル)もあった御神木(元天然記念物)のクスノキも焼け落ちています。

戦後の昭和三十七年に、現社殿が再建されました。

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ご祭神とご利益

ご祭神 誉田別命ほんだわけのみこと(第十五代応神天皇)
気長足姫尊おきながのたらしひめのみこと(神功皇后・・応神天皇の母君)
與登比売神よとひめのかみ(応神天皇の姫神)
相神
御利益 国家安泰・平和成就、西方守護

市谷亀岡八幡宮では、「ペットお守り」を頒布しています。当神社は、ペット連れでの参拝もできるようです。

詳しくは>>>

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境内Pick Up

▼鳥居

市谷亀岡八幡宮鳥居
こちらの鳥居は、江戸時代の文化元年(一八〇四)に建立されたもので、高さ約五メートル、柱の直径約五〇センチあります。銅製の鳥居は、新宿区内では当神社のものが唯一の存在です。

江戸時代に作られた鳥居が、関東大震災や空襲を潜り抜け現在に残っているのは貴重ですよね。

▼手水舎

市谷亀岡八幡宮手水者

▼狛犬

鳥居の手前に鎮座する狛犬
市谷亀岡八幡宮狛犬右 市谷亀岡八幡宮狛犬左

なかなかユニークなお顔の狛犬です。

社殿前狛犬

市谷亀岡八幡宮狛犬1

市谷亀岡八幡宮狛犬左1

鳥居をくぐるとまた階段があります。その階段を昇ると、狛犬が鎮座しています。

兜をかぶったような狛犬ですね。

▼社殿・拝殿

市谷亀岡八幡宮拝殿
市谷亀岡八幡宮右

ご祭神の応神天皇の時代に酒が、朝鮮半島より渡来したとされています。

それゆえなのか拝殿の両脇には、酒樽が積まれています。

▼摂社・末社

金比羅宮

市谷亀岡八幡宮金比羅宮

こちらの金比羅さんに関する記録は、残っていないようです。金比羅さんは海上守護の神様ですからこの辺りは、水路があり海上交通があった場所なので、金比羅さんが祀られたのでしょう。

茶ノ木稲荷神社

市谷亀岡八幡宮茶ノ木稲荷神社

元々この地に鎮座していたのは、こちらの稲荷神社でした。こちらの稲荷神社は、弘法大師空海が開山した神社とされています。

空海(774~835年)は平安初期の人物ですから、こちらの神社は創建から1000年以上たっている古刹です。

社殿は、残念ながら昭和の再建ものです。

出世稲荷神社

市谷亀岡八幡宮出世稲荷神社

この丘にはもともと稲荷神社が、祀られていました。近在の侍の枕もとに稲荷神が立ち「これまで以上に幣帛を奉り日参されよ」と告げられたそうです。

侍はそれまで以上に熱心に祈り、ついには大名までに出世したと伝えられています。侍は出世した後も、こちらの神社を厚く祀ったと言われています。

 

▼境内

▼男坂
市谷亀岡八幡宮男坂

▼ご神木
市谷亀岡八幡宮ご神木

▼水盤
市谷亀岡八幡宮水盤

▼百度石
市谷亀岡八幡宮百度石

願をかけて百日間参詣することを、お百度参りといい、平安時代から行われた風習。百度石は、お宮と百度石の間を往復する目標の石。(公式HPより)

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御朱印

未取得

初穂料・・・各500円

受付時間:平日 13時00分~16時00分 日曜祝日 9時30分~16時00分

社務所:男坂を上り右側です。出世稲荷のわきです。

当神社には11時ごろ到着したため御朱印はいただけませんでした。

 

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周辺情報

靖国神社

市ヶ谷駅のわきに通っている道は、靖国通りです。亀岡八幡宮で御朱印をいただけなかったので、手ぶらでは帰れないと一駅分の距離がありますが、靖国神社まで足を延ばしました。

靖国神社

靖国神社参拝は、20年ぶりです。さすがに巨大な神社ですね!

当神社は明治天皇の勅令によって明治2年(1869年)に建てられたものです。国家のために殉難した人の霊(英霊)が、246万6千余柱を祀っています。

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基本情報

所在地 東京都新宿区市谷八幡町15
電話 TEL:03-3260-1868/FAX:03-3260-5368
公式HP https://www.ichigayahachiman.or.jp/index.html
主祭神 誉田別命
気長足姫尊
與登比売神
社格 郷社
創建 文明年間
例大祭 8月
アクセス JR、東京メトロ有楽町線・南北線、都営新宿線市ヶ谷駅から徒歩3〜5分

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まとめ

梅雨どきの来訪だったため、小雨がぱらつく天気でした。今回は午前中時間ができたので、思い付きで出かけたもので御朱印の頒布に時間制限あること知らず残念でした。

お伺いした神社で御朱印を頂けないことは、過去にも何度かありました。その都度ちゃんと下調べして出かけないと反省するのですが、時間ができると即出かけるので失敗があります。

御朱印をいただくことが主目的でないと思うのですが、でも集めだすと頂けないと少し残念な気分ですね。

 

太田道灌という人は、東京に神社仏閣を多く建てています。信心が深かったということもあるでしょうが、これらの建物は要塞としても利用されていました。

道灌に逆らった善福寺(杉並区)などは、寺を焼き払われたとも伝わっています。現在の善福寺と室町時代の同寺が続いているものかは、文書が残っていなく不明のようです。

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※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。

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