江戸随一の毘沙門天:善國寺
私は神楽坂界隈を散策する時は、飯田橋側から神楽坂方面に向かうようにしています。飯田橋から北西方面に行くと筑土八幡神社をまず散策できます。そこから南に行きますと早稲田通りに戻れ、ちょうど善國寺の前あたりに出れます。筑土八幡神社から早稲田通りの間は、おしゃれな飲食店が数多くありお勧めのスポットです。
早稲田通りに出ると朱色が鮮やかな山門が目に入ります。そこが今回訪れた善國寺さんで、通称「神楽坂毘沙門天」と呼ばれています。
飯田橋・神楽坂周辺の神社・仏閣は、多くが戦後に再建されたものです。こちらのお寺さんも、やはり昭和に再建されたコンクリート作りです。
参拝日2022年9月13日
▼目次
沿革
こちらの善國寺が創設されたのは、桃山時代末の文禄4(1595)年のことです。豊臣秀吉が最初に朝鮮出兵したのが、「文禄の役」ですからそのころの創建ということです。
善國寺の初代住職は佛乗院日惺上人と言い、池上本門寺十二代の貫首を勤めた方です。
日惺上人というかたは二条関白昭実の実子で、その父との関係で徳川家康とは以前から親交を持っていました。
天正(1573~1592年)のころ日惺上人は、池上本門寺の貫首として迎えられ江戸に在住していました。また家康は天正18(1590)年に江戸に転封となり、二人は再会することになりました。
そこで日惺上人は、直ちに祖父伝来の毘沙門天像を前に天下泰平の祈祷を修したと言われています。
それを伝え聞いた家康は、日惺上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を寄進しています。
家康は鎮護国家の意を込めて、自らの筆で『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、当寺の開基となっています。
善國寺は寛文10(1670)年に焼失した麹町に移転し、享保年間にも焼失し、さらに寛政4(1792)年の火事により、現在地に移転しています。
寛文年間の火事の折には、水戸藩主徳川光圀の尽力により再建され、それ以降徳川本家や分家をはじめ御三卿家の田安・一橋家の祈願所となっています。
江戸時代には武家の間では毘沙門天への信仰が増していき、さらに文化・文政時代には庶民の間でも信仰が高まっていきます。芝の正傳寺・浅草の正伝寺とこちらの善國寺は「江戸の三毘沙門天」と言われ、こちらの神楽坂毘沙門天は江戸随一として親しまれていました。
昭和20年の東京大空襲は、神楽か周辺は灰燼となり当山も焼失してしまいます。 戦後昭和26年には毘沙門堂を再建、同46年には本堂・毘沙門堂が再建されています。
ご本尊とご利益
ご本尊 | 毘沙門天 |
御利益 | 商売繁昌、勝運、開運厄除け
毘沙門天は別名多聞天と呼ばれていますが、字の如く多くの声を聞いてくれる仏です。多くの人の願いを聞き取りかなえてくれます。 |
境内Pick Up
▼山門
早稲田通りに面した鮮やかな朱色の門は、とても目を惹きます。
▼本堂
やはり朱色が鮮やかな本堂です。
▼石虎
山門をくぐると本堂のわきには、お寺では珍しい狛犬が鎮座しているように見えます。狛犬に見えますが、実はトラなのです。
この石虎は、嘉永元年(1848年)に奉納されたものです。嘉永という年号は日本にとって大きな転換点となった元号の時で、嘉永6年にペリーが黒船で浦賀に来航した時代です。
虎は毘沙門天の使い魔(お使い)で、毘沙門天を祀っている寺院ではよく祀られています。(仏教では、使い魔なんて言い方しませんよね ^^)
石虎は珍しいもので、都内でも例は少なく新宿区内では唯一の作例で、新宿区指定有形文化財となっています。
▼浄行菩薩
本堂の左側に鎮座しています。
▼出世稲荷
御朱印
初穂料・・・300円
受付時間:9:00~18:00
寺務所:本堂右側
周辺情報
上の写真は、善國寺さんの道の向かい側にある小道です。知らないと見過ごしてしまうような小道ですが、この道の先がなかなか情緒のある空間です。昭和レトロという感じですかね!!
この道を進んでいくと「兵庫横丁」へと続きます。この石畳の路地には老舗の料亭や旅館が点在し、新宿区まちなみ景観賞も受賞している地域です。
この道を北側にすすむと、筑土八幡神社へと続きます。
基本情報
所在地 | 東京都新宿区神楽坂5丁目36 |
電話 | 03-3269-0641 |
公式HP | https://www.kagurazaka-bishamonten.com/ |
山号 | 鎮護山 |
宗派 | 日蓮宗 |
御本尊 | 宗定本尊毘沙門天 |
創建年 | 文禄4年(1595年) |
開基 | 徳川家康 |
開山 | 佛乗院日惺上人 |
正式名称 | 鎮護山善国寺 |
札所等 | 新宿山ノ手七福神(毘沙門天) |
文化財 | 毘沙門天像 – 新宿区指定有形文化財(彫刻)
石虎 – 新宿区指定有形民俗文化財 |
アクセス | ■東京メトロ有楽町線・南北線「飯田橋」駅 B3出口より徒歩5分■東京メトロ東西線「神楽坂」駅 A1出口より徒歩6分
■都営地下鉄大江戸線「牛込神楽坂」駅 A3出口より徒歩6分 ■JR「飯田橋」駅西口より徒歩7分 |
まとめ
江戸は武士の街でしたから、毘沙門天を祀っている寺院は多いですが、かつては善國寺さんが江戸随一だったとは知りませんでした。
毘沙門天などを巡る新宿山ノ手七福神廻りをしたいと思っているのですが、コロナ禍で果たせずにいます。
七福神廻りに関しては歳をとったせいか、人混みの多いところより静かなところの七福神と思ってしまいます。
コロナ禍で、人混みを恐れてしまいますね。
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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