武蔵国分寺|いにしえの大寺院を夢想させる国分寺
子供のころ歴史で、聖武天皇の時代(奈良時代)国家の安寧を願い東大寺を建立し、各地に国分寺と国分尼寺を立てたと教わりましたよね。
東京には、国分寺市と言う市があるくらいですから、国分寺市に国分寺があったのだろうとは、誰でも簡単に想像できますよね。
私は中学時代歴史クラブに所属し、史跡見物に行こうという話になり私が「国分寺に行こうと」提案しました。
一瞬みんな賛成してくれたのですが、「もうないんじゃないの?」と女子生徒が言いだし調べもしないで「きっともうないよ」ということで、私の提案は潰れてしまいました。
今と違いインターネットという物がありませんから、簡単に調べることが出来ませんからね。
結局私たちは、無難に鎌倉巡りをしてきました。
▼目次
沿革
国分寺は天平13 年(741)に、聖武天皇による「国分寺建立詔」により日本全国に建立され始めたものです。
この武蔵国分寺の正確な建立時期は判りませんが、天平宝字(757~765年)年間に出来たであろうと考古学見地から推定されています。
日本のほとんどの寺院がそうですが、武蔵国分寺も鎌倉時代末期鎌倉幕府軍と新田義貞の軍勢が衝突した分倍河原の戦いにより焼失してしまいました。
その後新田義貞により金堂跡地に、薬師堂を再建したのが現在へと続く今の国分寺です。
ただそのあと衰退し、薬師堂などは江戸時代後期(宝暦6年(1756年))に再度再建されたものです。
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ご本尊とご利益
ご本尊 | 薬師如来 |
御利益 | 当病平癒 諸願成就 |
境内Pick Up
薬師堂(市重要有形文化財)
仁王門(市重要有形文化財)
楼門(市重要有形文化財)
前沢村(現東久留米市内)の米津寺の楼門を、明治28年に移築したものです。
お地蔵様
国分寺跡(国指定史跡)
国分寺跡は、広大な敷地面積が史跡と指定されています。
案内板によると諸国の国分寺の中でも最大規模を誇っており、特に金堂は最大と言ってよい規模だたようです。
奈良時代は東大寺の大仏を建立したりと、その資金力と建築技術の高さに驚いてしまいます。
下に表示しているGoogleマップを見てもらうと分かりますが史跡の部分の大きさに比べ、現在の国分寺の規模の小ささは悲しくなってしまいます。
御朱印
未収得
初穂料・・・
受付時間:
寺務所:本堂右側
周辺情報
▼伝鎌倉街道
西国分寺から南に五分くらい歩いたところに、突然舗装されていない道が出てきます。
これがなんと鎌倉街道と伝えられています。
こんな細い道をかつては、武者たちが行き来したのでしょうか?
▼お鷹の道
この遊歩道は、かつて尾張徳川家の御鷹場に指定されていたことにちなみこの周辺を整備し「お鷹の道遊歩道」となずけたようです。
「おたかの道湧水園」と言う資料館があります。(有料)
▼真姿の池と真姿弁財天
その昔不治の病に陥った姫様が、この地の水を浴びたところ病が平癒し元の姿に戻ったという伝説のあるところです。
この湧き水は、環境省指定名水百選にも指定されています。(詳しくは>>)
お鷹の道に来る時は、湧き水を入れられる容器を持っていくとよいですよ!!
基本情報
所在地 | 東京都国分寺市西元町1-13-16 |
電話 | 03-3426-1437 |
山号 | 医王山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建 | |
本尊 | 薬師如来 |
開基 | |
アクセス | 国分寺駅より徒歩17分 |
西国分寺駅より徒歩14分 |
まとめ
以前この近くに住んでいたのですが、子供が生まれたばかりだったのと母が病気になりほとんど近隣を散策することが出来ませんでした。
母の看病のために実家に移り住み15年ぶりに訪れましたが、驚くほどこの周辺だけは変わっていませんでした。
そ~いまだに露店で、野菜を売ってました。
懐かしくて、つい買ってしまいました。
23区の寺社散策では、経験できないことです。
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