亀戸天神社|学業成就だけでないお花の神社
東京十社巡りを始め、亀戸天神社で三社目です。(関連記事)
亀戸天神社は学問の神様菅原道真公を祀っていますよね、でもうちには特に受験生がいるわけではありませんが天神様にお参りに行きました。
私が行ったこの時期(2018年2月20日)は、ちょうど梅まつりの最中です。(2月4日~3月4日の期間が梅まつりです。公式HP)
我が家の梅は満開だったのですが、亀戸天神の梅はまだ満開とは言えませんでした。
▼太鼓橋から境内全景
菅原道真と飛梅伝説
天満宮・社に行くと必ず多くの梅の木が有りますよね!!
菅原道真は、藤原時平との政争に敗れ九州の太宰府に左遷されてしまいました。
道真は自宅の梅・桜・松をこよなく愛していましたが、道真がいなくなることを知ると桜は悲しみから枯れてしまい、松と梅は道真の所まで飛ぼうとしました。
しかし、松は途中で力尽きてしまいますが、梅は見事に大宰府の道真の元までたどり着いたのでした。
もちろん現実には、自宅の梅を株分けしたりしたものなのでしょうが、左遷された道真の悲しみから生まれた伝説なのでしょうね!!
そんな悲しみとは裏腹に現在では、素晴らし梅が私たちを楽しませてくれます。
亀戸天神社沿革
亀戸天神社の縁起は正保3年(1646)九州太宰府天満宮の神官で菅原道真の子孫である菅原大鳥居信祐が、神のお告げにより公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻んだ事から始まります。
菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるための社殿建立の志をもって、東国を中心に諸国を巡り 、江戸の本所亀戸村へとたどり着きました。
村には元々天神様の祠が有り、そこに天神像を祀ったのが亀戸天神社の起源です。
明暦3年(1657年)に江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火が有り、その復興事業の一環として天神社は現在地に江戸幕府より土地の寄進を受けました。
4代将軍家綱は天神を信仰していたとされ、火災・災害の鎮守として天神社を建立したと言われています。
この時代は防火体制を整えるより、祈ることが第一だったのかもしれません。
江戸が本格的に防火体制を整えるのは、八代将軍吉宗の時代になってからです。
そして、寛文2年(1662)10月25日に太宰天満宮にならった、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などが建立されました。
亀戸天神社は、太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称され東国では天神社の総社とされています。
現在の正式名称は、「亀戸天神社」です。
明治時代には、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)准勅祭社となりました。(関連記事)
亀戸天神社Picture
鳥居
鳥居の奥には、スカイツリーが見えます。
太鼓橋
▼男橋
▼女橋
この太鼓橋は、太宰府天満宮にあるものを模してつかられたものです。
この太鼓橋と池は、人の過去・現在・未来と言う人生を「三世一念の理」と言う思想に基づき表しているとされています。
男橋は過去、女橋は未来を表しています。
手水舎
多くの神社の手水舎は、竜から水が出てきますがさすが亀戸、カメから水が出ています。
拝殿
おみくじ
道真公のおみくじです。
亀戸天神社風景
▼入口
▼謎の鳥
恐らく鷺ですよね!!
▼亀戸のカメ
もっと温かくなるとウジャウジャいるようです。
▼藤棚
4月下旬から藤の花が見ごろになります。また、亀戸天神社は、秋には菊まつりもありお花の楽しめる神社です。
亀戸天神社基本情報
所在地 | 東京都江東区亀戸3-6-1 |
電話 | 03-3681-0010 |
kameidotenjinsha25@almond.ocn.ne.jp | |
主祭神 | 天満大神(菅原道真)
天菩日命(菅原家の祖神) |
社格等 | 府社 |
創建 | 寛文元年(1661年) |
例大祭 | 8月25日 |
アクセス | 総武線亀戸駅下車 北口より徒歩15分 総武線、地下鉄半蔵門線錦糸町駅下車 北口より徒歩15分 都バス亀戸天神前下車すぐ |
御朱印
初穂料・・・300円
拝殿右側の授与所にて頂けます。
まとめ
亀戸天神社は、梅まつり・藤まつり・菊まつりとお花好きにはたまらないスポットです。
スカイツリー、お花と神社とのコラボレーションは、写真好きには絶好のロケーションですよね。
東京十社巡りをする方は、ここから秋葉原かお茶の水に出て神田神社(神田明神)へと足を延ばすのも良いと思います。
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