伝教大師作の神像が起源の筑土八幡神社

2022年12月17日

筑土八幡神社 拝殿
この日は妻が翌日出かけるための準備で、美容院に出かけてしまったので時間が空いてしまいました。家の掃除でもと思ったのですが、気まぐれで神楽坂へと出かけてみました。

槇野修氏の著書「江戸東京の寺社609を歩く」を、電車の中で読みコースを決めるというドタバタでした。

情報によると神楽坂界隈を散策するのなら、隣の駅飯田橋から攻める方が効率がよさそうです。(槇野氏は飯田橋からスタートしていました)

筑土八幡神社に行くのには神楽坂駅より、飯田橋から行く方が少し近いです。

飯田橋駅前は分かりにくいのですが、大久保通りを大久保方面に歩いて6分ほどで小高い丘がありそこが筑土八幡神社です。

筑土八幡神社参道

実際には私はいったん神楽坂を上り、その周辺の神社仏閣を参拝してから、筑土八幡神社へと向かいました。

参拝日2022年9月13日

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▼目次

  1. 沿革
  2. ご祭神とご利益
  3. 境内Pick Up
  4. 御朱印
  5. 周辺情報
  6. 基本情報
  7. まとめ

沿革

八幡神社は源氏もしくは武士が創建することが多いのですが、こちらの筑土八幡神社はこの周辺の翁が創建したと伝わっています。(この翁は、八幡神への信仰が厚かった様です)

筑土八幡神社は、嵯峨さが天皇(809~823年)の時代に創建と伝えられている古社です。嵯峨天皇は平安京を作った桓武天皇の息子ですから、1200年ほど前の天皇です。

この時代に生きた翁の夢の中に神霊が現われ、「我、汝が信心に感じ跡をたれん。」との託宣を授けました。(八幡神は、東大寺創建の時も託宣を出しています。詳しくはこちら

託宣を受けた翁は目を覚まし、禊のため井戸へ向かいました。井戸の傍らの松の樹の上に、細長い旗のように美しい雲がたなびいていました。そして、その雲の中から白鳩が現われ、松の梢に留まったと言います。
翁はこの出来事を里人に語り、鳩の留まっていた松の木に注連縄を巻き祀ったと社伝では伝わっています。

この話が、筑土八幡神社の創建の伝承とされています。

この出来事の後、伝教大師(天台宗の開祖・最澄)が当地を訪れた時、この奇瑞を聞いて神像を彫刻して祠に奉斎した。または、慈覚大師(円仁)が、東国を訪れた際に祠を建て、伝教大師作の神像を祀ったとされています。

伝教大師が彫ったとされる神像を祠に祀るさいに、筑紫の宇佐神宮の宮土をもっていしづえとしたので、筑土八幡宮と呼ばれるようになりました。

筑紫国というと同じ福岡県でも大宰府あたりをさす名称で、宇佐あたりは豊国と呼ばれていたのでちょっとピンとこない気がします。ただ古くは、北部九州全体を筑紫国と呼んだようです。

その後、文明年間(1469年 ―1487年)にこの辺りを領地としていた上杉朝興によって社壇が建てられこの地の産土神とし、また江戸の鎮守としたとされています。

社伝にはこう記されているのですが、あるサイトの指摘では文明年間にはまだ上杉朝興は誕生してないとのことです。

上杉朝興は、ウィキペディアで調べると長享2年(1488年)の生まれとなっていました。

文明年間に生きた別の上杉氏によって社殿が作られたのか、文明年間ではなく後の時代に朝興が社殿を立てたかは不明です。

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ご祭神とご利益

ご祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
相神
御利益 厄除、商売繁盛、出世開運、家内安全、会社発展

仲哀天皇と神功皇后は夫婦で、その第4皇子が応神天皇という関係です。応神天皇は、現在の皇室の直接のご先祖です。

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境内Pick Up

▼鳥居

筑土八幡神社 鳥居

石段は結構急で、驚いてしまいます。大久保通から見てもこんもりとした山という感じですから、当然と言えば当然ですかね!

▼手水舎

筑土八幡神社 手水舎

▼狛犬

筑土八幡神社狛犬左 筑土八幡神社狛犬右

▼社殿・拝殿

筑土八幡神社 拝殿2

社殿は昭和20年に戦火により焼失し、昭和38年に熊谷組によって再建されたものです。熊谷組の本社は、筑土八幡神社の前の大久保通りを渡りすぐの所にあります。

▼摂社・末社

筑土八幡神社摂社稲荷神社

●宮比神社

こちらの摂社のご祭神は、宮比神ですが別名大宮売命おおみやのめのみこと天細女命あめのうずめのみこととも言われています。

天鈿女命は、天照大神が天の岩戸に隠れたときに、岩戸の前で半裸で踊った女神です。舞踊をつかさどった巫女ですから、ダンスなどを志す人は参拝してみていかがでしょうか?

こちらに神社はもともとは、下宮比町一番地にあった旗本屋敷に鎮座していたものなのですが、明治40年にこちらに遍座しました。こちらの社殿も、戦火で焼失し昭和37年に再建されたものです。

▼境内

●庚申塔
筑土八幡神社
江戸時代に流行ったのですが、庚申かのえさるの日に一晩中寝ないで夜を明かす庚申待こうしんまちに由来する塔です。

庚申待とは中国から伝わった言い伝えで、人の体内にすむ三尸さんし虫が庚申の夜に天に行って、その人の罪科を密告すると言われています。それで眠ると三尸虫が体から出てしまうので、一晩飲み明かす日となり広まっていきました。(もちろん飲む前には、祭祀もしています)

この庚申塔は1664(寛文4)年に奉納されたもので、雌雄二匹の猿に桃を配した構図は全国的にも極めて珍しいようです。この塔は、新宿区有形民俗文化財指定となっています。

 

筑土八幡神社 筑土八幡神社 筑土八幡神社

境内には、清酒白鷹の樽が積まれ奉納されています。白鷹は江戸末期にはあまり売れなかったのですが、神楽坂の酒問屋・升本総本店の店主がこれを高く評価し神楽坂の料亭に卸すようになり、評判を呼んだのです。

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御朱印

他のサイトを見ますと当社の御朱印が掲載されていました。

でも2022年9月には、御朱印の頒布は中止されていました。(大変ですものね!)

由来書に挟まっていた御印、黒い点に見えるのは、金箔です。

 

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周辺情報

筑土八幡神社から、神楽坂の早稲田通りまでは徒歩で5分ほどです。神楽坂には、小さくて洒落たお店が多くありますから散策するのが楽しくなりますよね。

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基本情報

所在地 〒162-0815 東京都新宿区筑土八幡町2-1
電話 03-3260-2701
主祭神 応神天皇
創建 約千二百年前
例大祭 9月15日
アクセス JR総武線・東京メトロ東西線・有楽町線・南北線・都営大江戸線「飯田橋駅」 徒歩6分

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まとめ

家康が入府する以前の江戸は、海近くでも山と谷の入り組んだ土地でした。

今の日比谷公園のあたりは、湿地帯で人の住めるようなっ所ではありませんでした。

家康は江戸の山を削り、日比谷などを埋め立て、港を作るなどの都市開発を進めました。

筑土八幡神社は、江戸城の近くでも小高い山が残っています。

江戸時代以前の風景を残している場所なのでしょうかね?

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※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。

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