妙正寺|妙正寺川・妙正寺池 名前由来の寺院
妙正寺(みょうしょうじ)は、杉並区清水にある日蓮宗の寺院です。
杉並・中野・新宿の一部に住んでいる方は、妙正寺川(早稲田で神田川と合流)はご存知だと思いますが、川の名前の由来になっているのがこちらの妙正寺です。
川の名前になるくらいの寺院ですから大寺院を想像していたのですが、瀟洒な緑のきれいな寺院でした。
▼目次
沿革
妙正寺は、文和元年(1352年)に下総国(現在の千葉県)の中山法華経寺第3世・日祐上人が妙正寺池のほとりに堂を建てたのが始まりです。
始まりは寺院というより、法華経守護者である天照大神・八幡大神・春日大社など三十番神を勧進したお堂が始まりでした。
神仏習合していた時代ですから、仏教者が神様を祀るのはごく自然のことでした。
その後300年ほどたち、江戸時代の正保3年(1646年)に中興開山日明上人の尽力により社殿を再建しています。
慶安2年(1649年)に三代将軍・徳川家光が鷹狩りの際に立ち寄り武運長久を祈願しています。
この参拝が契機となり、葵の紋幕と朱印地・五石を賜り御朱印寺として有名になっています。
本堂は天保元年(1830年)に残念ながら焼失しまいましたが、天保3年(1832年)に無事再建できています。
現在の本堂は、昭和6年(1931年)に改築されたものです。
本堂には、本尊のほか安産に霊験ある鬼子母神像や以前は妙正寺池の弁天島(池に浮かぶ小島)にあった弁財天が祀られているます。
この鬼子母神像は曰くありの仏像で、かつては大奥にあり「生毛(しょうもう)鬼子母神像」と呼ばれ安産にとても霊験があり信仰されていました。
江戸時代後期の天保の改革(1841年)で、大奥大粛清のおり鬼子母神像は当寺に移され、地元の人達から安産の仏様として崇敬を受けています。
ご本尊とご利益
ご本尊
久遠実成本師釈迦牟尼仏・日蓮聖人・十界曼荼羅
諸仏
三十番神・鬼子母神・十羅刹女・七面大明神・弁財天・大黒天・北辰妙見大菩薩等
ご利益
鬼子母神-安産
境内Pick Up
妙正寺には妙正寺公園からカーブのある坂道を登リ左折すると、妙正寺の西門に着きます。正面の南門は、もう少し進んで左折した所にあります。
▼山門(南門)
▼西門
▼鐘楼
現在の鐘楼は昭和38年に再建されたものです。
▼本堂
本堂前の2本の枝垂れ桜は、杉並区保護樹木に指定されている見事な桜です。
▼三十番神堂
以前のお堂は安政3年(1856年)に暴風雨により倒壊し、現在の三十番神堂は安政6年(1859年)に再建されたものです。
神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた天照大神・八幡大神・春日大神等30柱の神々(三十番神)を勧請しお祀りしています。
妙正寺HPより
▼境内社
疱瘡稲荷・正一位稲荷が本堂の裏手にあります。
御朱印
対応していません
周辺情報
妙正寺から坂を下ったところにあるのが、妙正寺公園です。
妙正寺池はさほど大きくなく、ボートなどの貸し出しはありません。
桜の季節は、妙正寺池から妙正寺川に沿って桜が植えられていますので散策路としては最適です。
川沿いを歩いていくと早稲田通り行き着きます、ここが散策路の終点といった感じです。
早稲田通りには、荻窪~下井草を結ぶ関東バスの路線があります。
基本情報
所在地 | 〒175-0092 東京都杉並区清水3丁目5番10号 |
電話 | 03-3399-6076 |
公式HP | http://myosho-ji.com |
山号 | 法光山 |
宗派 | 日蓮宗 |
御本尊 | 久遠実成本師釈迦牟尼仏・日蓮聖人・十界曼荼羅 |
創建年 | 文和元年(1352年) |
開基 | 日祐上人 |
正式名称 | 法光山妙正寺 |
文化財 | 本因坊知伯の墓(杉並区指定史跡文化財) |
アクセス | ・JR/東京メトロ丸の内線「荻窪駅」北口下車 徒歩15分 ・JR/東京メトロ丸の内線「荻窪駅」北口より下井草駅行きバスにて「清水2丁目」下車 徒歩3分 ・西武新宿線「井荻駅」南口下車 徒歩10分 ・西武新宿線「下井草駅」南口より荻窪駅行きバスにて「妙正寺池」下車 徒歩3分 |
まとめ
この周辺の川は、妙正寺や善福寺とお寺の名前が川になっています。また、石神井公園の三宝寺池や井の頭公園の井の頭池とこの周辺は水が豊かなところです。
水のあるところには古代から人が住み、その周りには信仰のため神社や寺院が多くあります。
この日は二時間半くらいで自転車を使ってですが、荻窪八幡神社・井草八幡宮・観泉寺・妙正寺と大急ぎで廻って来ました。
コロナ騒動が沈静化したら、のんびりと寺社巡りをしたいものです。
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