城官寺:豊島氏初期の居城平塚城跡
「消えた豊島一族の痕跡を散策」という散策記事を書くために、豊島氏の居城のあった上中里周辺を散策しました。
城官寺は上中里駅を出て、蝉坂を登っていくと右に平塚神社があり、左側の小道を入るとすぐにあります。
蝉坂は緩やかにカーブした結構長い坂です。平塚神社の脇を沿う形で続き、本郷通りと交差します。
参拝日2021年5月24日
▼目次
沿革
豊島氏の初期の居城平塚城は、この城官寺のあたりにあったと推測されています。
後三年の役が終結し、凱旋してきた源義家が平塚城主豊島太郎近義から歓待を受けます。
義家は歓待のお礼として、鎧一領と十一面観音を下賜しています。
鎧は平塚神社裏手の甲冑塚古墳に塚を造り、十一面観音はこの城官寺に安置しました。
この城官寺はもともとは浄土宗の寺院で、江戸時代以前は安楽院と言っていました。
創建時代は不明ですが、筑紫の安楽寺の僧侶が諸国巡礼の途上こちらの寺に宿泊しました。その時本尊の阿弥陀如来像を、奉納したためその所縁から安楽院と称しました。
江戸時代に入るころは寺勢は衰え、だいぶ荒廃していたようです。江戸時代の寛永11年(1634年)に真言宗に改宗していますが、改宗の詳しい事情は分からないようです。
江戸時代に山川城官貞久という人物が、三代将軍徳川家光の病気平癒のために寺観を整え平塚神社の別当寺としています。(詳しくは「平塚神社:豊島氏終焉の地」で、山川城官の逸話を記しています)
寛永17年(1640年)家光はこの地に訪れ、村長より貞久の話を聞きいたく感動し、貞久に知行2万石を与え、寺名を城官寺と改めさせています。
ただ別の資料などでは、知行は2百石だったと書かれています。2万石だと、中大名クラスの石高ですから、おそらく2百石が妥当な線だと思われます。(寺のHPも200石と記されています)
ご本尊
ご本尊 | 阿弥陀如来(秘仏) |
諸仏・・・愛染明王・観世音菩薩・不動明王
境内Pick Up
▼山門
山門にかかげられた「平塚山」は、城官寺三百年を記念して書かれた当時の内閣総理大臣 田中角栄氏の筆によるものです。
出典:城官寺HPより 写真をクリックすると拡大します。
▼手水舎
くまモンとピカチュウ?
▼本堂
本堂にかかげられた「城官寺」は、総本山長谷寺第七十三世化主及び当山第十七世住職 長岡慶信大僧正揮毫です。
出典:城官寺HPより 写真をクリックすると拡大します。
▼地蔵尊
▼石碑
御朱印
初穂料・・・300円
受付時間:午前10時~午後4時
日の入りが早い時期は、受付終了時間が早まることがあります。
悪天候の際は受付をしておりません。
寺務所:本堂左側 社務所前の引き出しに御朱印が入っています。日付はご自分で記入してください。(自分の字をさらすのは気が引けます)
周辺情報
散策コース
今回は東京メトロ南北線の西ケ原駅からスタートして、平塚神社に参拝し、蝉坂の向かい側にある城官寺を参拝しています。さらに蝉坂を下ると京浜東北線の上中里駅があり、線路に沿って「飛鳥の小径」を王子駅方向に歩き左折すると七社神社へと着きます。
平塚神社・城官寺・七社神社は、豊島氏の居城平塚城跡に関連する場所です。残念なことは、まだ城に関する遺跡があまり発掘されていないようです。都内ですから住宅が立ち並んでいて、なかなか発掘調査はなされないでしょうね!!
南北線西ケ原駅>>平塚神社>>城官寺>>上中里駅>>七社神社>>南北線西ケ原駅
基本情報
所在地 | 〒114-0016 東京都北区上中里1-42-8 |
電話 | 03-3910-3343 |
公式HP | https://www.jokanji.jp/index.html |
山号 | 平塚山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
寺格 | |
御本尊 | 阿弥陀仏 |
創建年 | 不詳 中興年:寛永11年(1634年) |
開基 | 安楽院僧侶 中興:山川貞久 |
正式名称 | 平塚山 安楽院 城官寺 |
札所等 | ・御府内八十八箇所 第四十七番札所 ・豊島八十八ヶ所霊場 第四十七番札所 ・滝野川寺院めぐり 第八番札所 |
文化財 | 向柳原 多紀家(本家) 七代・元簡(もとやす)こと桂山(けいざん)と、その一族の墓所が東京都指定文化財(史跡) |
アクセス | JR京浜東北線 上中里駅より徒歩3分(出口は田端寄りに1ヶ所だけです。) 東京メトロ南北線 西ヶ原駅より徒歩5分(1番出口) |
城官寺は、四国八十八箇所霊場第四十七番札所の愛媛・八坂寺(やさかじ)のうつしです。
まとめ
上中里一体から飛鳥山公園・王子神社にかけては、平安時代から鎌倉時代にかけて豊島氏により治められていました。
室町時代になると豊島氏の居城は、現在の石神井公園付近と移っていきます。
飛鳥山公園の脇には、石神井川が流れています。石神井川沿川が、豊島氏の支配地だったのです。
詳しくは、「消えた豊島一族の痕跡を散策」を参照してください。
※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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