平塚神社:豊島氏終焉の地
先日「消えた豊島一族の痕跡を散策」という記事をアップしました。
こちらの平塚神社は豊島近義が創建し、豊島氏居城の一つ平塚城の跡ともいわれているので参拝しにまいりました。
明治に書かれた小説では、豊島泰経は石神井城で討ち死にし娘照姫が三宝寺池に身を投げたという悲しい話があります。
実際は泰経は石神井城陥落後、平塚城で太田道灌に最後の抵抗をしますがこの後行方不明になっています。
石神井城址(室町時代の豊島氏居城)と違い、平塚城に関する遺跡はほとんど出土していないようです。
神社拝殿裏側には、甲冑塚古墳がありますが非公開となっています。
参拝日2021年5月24日
▼目次
沿革
平塚神社の創建は、平安後期の元永年間(1118~1120年)と言われています。
源義家が後三年の役を終息させ凱旋の途中に、この地の領主豊島太郎近義の居城で歓待を受けています。
義家はこの歓待の礼として、鎧一領を下賜しています。
近義はこの拝領した鎧を、居城内の清浄な地に埋め塚を築きこれを鎮守としています。
この塚は甲冑塚とよばれましたが、高さがなく平らだったため平塚と呼ばれるようになりました。
後三年の役が1062年に終結してますが、その約20年後に近義は源氏三兄弟(義家・義綱・義光)を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
時代は下り江戸時代になると、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久という人物が平塚明神に出世祈願をして江戸へ出ていきました。
貞久は盲官(盲人の役職)の最高位である検校という地位を得ることができ、さらに将軍徳川家光の近習まで上り詰めました。
あるとき家光が病に倒れ危ない状態になり、貞久は平塚明神に家光の病気平癒を祈願しました。
さいわい将軍の病気はたちどころに快癒し、この神恩に感謝した貞久は平塚明神社を修復しました。
家光はこの話お聞き五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、自らも参拝しています。
ご祭神とご利益
ご祭神 | 八幡太郎 源義家命
加茂次郎 源義綱命 新羅三郎 源義光命 |
相神 | |
御利益 | 勝ち運 病気平癒 開運厄除 騎馬上達(交通安全) 武芸(スポーツ)上達
立身出世(就職 昇進) 事業繁栄 魔除け 心願成就 その他(出典:平塚神社HPより) |
境内Pick Up
境内には大きな木が多く、古社という雰囲気を醸し出しています。
▼鳥居
一の鳥居
この鳥居は戦前に作られたものなのですかね、「国土安全」「天下泰平」と鳥居に刻まれていました。
二の鳥居
二の鳥居はとても慎ましい鳥居になっています。境内社の鳥居のようですね。
東鳥居
蝉坂から階段で登ってくると、こちらの鳥居をくぐります。
▼手水舎
▼狛犬
獅子が千尋の谷に子供を落としているという図なのですかね?
▼社殿・拝殿
▼神楽
社殿からつながっている作りです。
▼社務所
神楽殿の右隣りにあります。
▼摂社・末社
社殿に向かって参道を行くと、4社の摂社が鎮座しています。
菅原神社(平塚天神社)
御祭神・・・管原道真命 大己貴命 豊島太郎近義命
御神德・・・学業成就 綠結び 財運 家內安全 事業運
大門先・元稲荷神社
御料稲荷神社
石室神社(石神明社)
御祭神・・・蘓坂兵庫頭秀次命
御神徳・・・社守 天災除 病気平癒
豊島氏の後、平塚城主となった蘓坂兵庫頭秀次は平塚明神を篤祀った。秀次はみまかりて社の外側に葬られるが、以降墳墓のあたりに毎年米が降るようになった。村の長老は秀次の石墳を石神明神と崇めた。石神明神は崇めれば必ず応えてくれ、水害や日照や疫病の除災に御神徳を顕したと伝えられる。
出典:境内案内板より
この石室神社が、特に庶民から厚く信仰されていた象徴のような存在ですね。
ある意味おろそかにすると怖いような気がしますね。
▼境内
正門
本郷通りからの入り口です。参道は長く、400mくらいあります。古社の趣があるのですが、残念なのは参道の両脇に駐車場があり車がたくさん止まっています。(せっかくの景観なのですがね)
平塚神社石碑の後ろの小屋(写真参照)は、駐車場の管理室のようです。
東門
JR上中里駅からだと、蝉坂を上りこちらの東参道の階段を上るとすぐ境内です。
甲冑塚古墳
こちらの古墳は径40m、高さ3.5mの規模がありますが、残念ながら古墳内には入ることができません。豊島近義は清浄な地を選んで甲冑をおさめたと言います。確かに古墳は聖なる土地でしょうが、先に埋葬されている方との関係はどうなるのですかね?
「場内清掃整理のため当分の間閉鎖します」と書いてありますが、いつから張られているのですかね?
御朱印
初穂料・・・500円
社務所:社殿の右に神楽殿がありさらにその右側が社務所です。
社務受付時間: 9時~12時 13時30分~17時
残念ながら出張のため不在で、御朱印はいただけませんでした。
周辺情報
平塚神社入り口横にある「和菓子平塚亭つるおか」は、内田康夫の推理小説シリーズの「浅見光彦」が好んでいる団子屋さんのモデルらしいです。
つるおかさんの屋根にいた、猫が可愛のでつい撮影しました。(クリックすると拡大します)
基本情報
所在地 | 〒114-0016 東京都北区上中里1-47-1 |
電話 | 03-3910-2860 |
公式HP | http://hiratsuka-jinja.or.jp/index.html |
主祭神 | 八幡太郎 源義家命・加茂次郎 源義綱命・新羅三郎 源義光命 |
社格 | 郷社 |
創建 | 元永年間(1118~1120年) |
例大祭 | 9月14・15日 |
アクセス | JR京浜東北線 上中里駅より徒歩2分 JR山手線 駒込駅より徒歩12分 東京メトロ南北線 西ヶ原駅より徒歩3分 |
まとめ
隣接する滝野川公園には御殿前遺跡があります。奈良から平安にかけてこの辺りは、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんが=地方役所)があったと推定されています。
郡の中心地の領主だった豊島氏は、この当時から大きな勢力を持っていたのでしょうね。源氏との結びつきの大きいかった豊島氏は、鎌倉時代には有力御家人として勢力がありました。(郡衙があった時代と、豊島氏が居城を持っていた時代は200年ほど違います)
豊島氏は室町時代になると幕府とのつながりが弱くなり、徐々に衰退していきついには太田道灌によって滅ぼされています。
滅びた氏族の痕跡を、散策すると寂寞を感じてしまいます。
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※記事の情報は、参拝当時の情報となってます。
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