神社参拝の基礎知識:神社の起源と発展を知ろう

神社の起源

世界の三大宗教と呼ばれるキリスト教・イスラム教・仏教には、開祖と言われる人がいます。

ところが日本の神道にはそういった人はいませんし、教義や聖典があるのかと言うとこれもないと言ってよいでしょう。

古代の人たちが神を祀った遺跡を、祭祀遺跡と言います。

この祭祀遺跡を調べていくと、古墳時代(3世紀後半から7世紀後半 諸説あり)くらいには神社の元となった遺跡が発掘されています。

古墳時代には、神社の基礎となる信仰が成立していったと考えられますし、古墳時代の終焉期には仏教が伝来し神社のあり方にも大きな影響を与えています。

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▼目次

  1. 古代の神社
  2. 神社と仏教
  3. 神仏習合
  4. 神と仏の関係は?
  5. 神仏分離
  6. まとめ

古代の神社

まず神社とは何かというと、言葉を分解してみると「神の社(やしろ)」ということになります。

社(やしろ)とは、言葉の起源をたどると「屋代」だと言われています。

「代(しろ)」は元々清めた場所という意味で、「屋」は小屋を表しています。

神社は、神をまつるための清められた場所に作る小屋ということになります。

古代の神は、常にその地にいるのではなく、祭祀(神祭り)の時にどこからともなく現れ、終わると去っていくと考えられていました。

ですから、神様をお迎えする時に、場を清めお迎えする小屋を作っていたのです。

今のように常設ではなかったのですね。

イメージとしては、地鎮祭のような感じですかね。

野外で神祭りをして、風雨を避けるために小屋を作っていたのが、時代とともに常設化したと考えられています。

 

どこからかやってきた神様は、「依代(よりしろ)」に宿るとされています。

大きな山や巨大な常緑樹・岩などが、「依代」になると考えられていました。これは今も伝えられていて、理解しやすい事です。

神社の起源2

大きな山の代表は富士山ですが、富士信仰は浅間神社という形で今も多くの信仰を得ています。

大きな岩や巨木にしめ縄が巻かれている風景を我々はよく目にしますが、これらのものに神が宿ると考えられていた証です。

「依代」は物ばかりでなく子供や女性に宿るとも考えられ、これを「依坐(よりまし)」と言います。

「魏志倭人伝」に出てくる卑弥呼は、「依坐」の典型だったのかもしれません。

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神社と仏教

明治時代に出された「神仏分離令」以降に生きる我々は、神道と仏教は別のものと考えています。

でもよく見ると、例えば浅草の有名な三社祭が浅草寺のお祀りかと言えば違います。でも門前町である仲見世通りを、堂々と神輿が練り歩きます。

門前町とは、お寺の前にある町並みで寺域その物です。仏様の領分に、神様が侵入してきているという構図になります。

でも我々は、全く違和感ありませんよね!キリスト教の教会周辺で、イスラム教徒がお祭りをしたら戦争になってしまいます。

 

古代においては神様を祀るときだけに祭壇を作っていたのですが、仏教の伝来によりその影響を受け常設の祭壇が作られるようになっていきます。

仏教の起源は古く紀元前5世紀ごろに成立し、日本には6世紀頃伝来されたとされています。

6世紀以前にも渡来人がいましたから仏教は伝わっていたとされますが、欽明天皇の時代に正式に仏教が認められ伝来したことになっています。

欽明天皇は、仁徳天皇の皇統が途絶え応神天皇5世孫にあたる継体天皇が皇統を継ぎ、その継体天皇の嫡男にあたる天皇です。

皇統が変わったことにより、豪族の力関係も変わったことが仏教伝来に大きく影響しているのでしょうか?

実際欽明天皇の孫である聖徳太子の時代には、崇仏派の蘇我氏と反対する物部氏の間に大きな戦争が起きています。

 

大きな寺院を建て勢いを増していく仏教に対し、やはり神道側も大きな建物を造り対抗し始めます。

この時代日本の神々を「国つ神」と呼ぶのに対し、仏のことを「蕃神(あだしくにのかみ)」と呼んでいます。

「蕃神」とは、外国の神様と言った意味です。そして飛鳥時代くらいから、日本の神祭りを「神道」と呼ぶようになります。

 

7世紀の後半になっていくと、神道の制度や祭祀・儀礼などが整い今の時代につながるものに整備されました。

仏教伝来とその興隆の影響は、日本の神々を信仰する形に大きな影響をもたらしたのは間違いない事実です。

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神仏習合

時代は奈良時代になると神社とお寺の関係は、より緊密になってきます。

奈良時代の大建造物と言えば東大寺と大盧舎那仏ですが、この大仏建立には宇佐八幡からの神託がありその力を背景に聖武天皇は国力を削りながらも建立しています。

神社の起源2

もし宇佐八幡の神託がなければ、国家財政を傾ける大仏像建造は困難だったろうと考えられています。

奈良の大仏完成後には、宇佐八幡とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)・大神杜女(おおがのもりめ)が大仏を拝するため、「紫の輿」(こし)に乗って転害門(てがいもん)をくぐっています。

この「紫の輿」は、天皇など高貴な人物のみが載ることを許されている輿です。また、大仏開眼法要の折には、天皇と並び八幡神が入御されています。

東大寺が完成すると東大寺の守護神として、寺の近くの手向山(たむけやま)に八幡神の分霊が勧請されています。

奈良時代には、神が仏を守るという神仏の関係が生まれたのです。

さらに、八幡神は朝廷から「八幡大菩薩」という神号を送られています。これで八幡神は、弥勒菩薩や観音菩薩と肩を並べる存在となったのです。

八幡神とは、誉田別命(ほんだわけのみこと)と呼ばれ、応神天皇と同一とされています。応神天皇の5世孫の継体天皇からの皇統は、現在の皇室につながる血脈です。

応神天皇は現皇室にとっては、天照大御神に次ぐ皇祖と言われています。

 

現代では見られませんが奈良時代には、神社内に「神宮寺」と言うお寺が建造されるようになっています。

この神宮寺が出来た背景は、神もまた人間と同じように悩む存在で、人と同じように神もまた仏の力で解脱しなければならないという「神身離脱」と言う思想によるものです。

確かに日本神話の神々は、争ったり悩んだり嫉妬していてほとんど人間と同じ性質を持っていますよね。

この神宮寺は、別当寺と呼んだり、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)などとも呼ばれています。

別当とは別に本業があり兼務するという意味で、「寺務を司る官職」をさします。

この寺務を司る別当が神社での最高権威で、その下に宮司がいるという関係が神仏分離令が出される明治時代まで続いています。

このように神社とお寺は混ざり合うのは、奈良時代から始まった古い融合なのです。

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神と仏の関係は?

神と仏が習合してくると、神の存在とは何かという本質的なことが問われてきます。

神様とは、日本の国を導くために神という形でこの国に降り立った仏であるという思想が生まれてきます。

いわゆる「本地垂迹説」というものです。

「本地」とは本来の姿という意味で、「本当の姿は仏さま」ですよということです。

「垂迹」とは、この世に現れ出た仮の姿の事です。すなわち神という形が、「垂迹」ということです。

大乗仏教では、最高位の如来である大日如来の化身が不動明王と説いています。

「本地垂迹説」はこの思想に近いのですが、神には梵天や帝釈天のように仏を守る天部の役割もあります。

神々の最高神である天照大御神の本地仏は、大日如来とされています。

 

「蔵王権現」「熊野権現」や東京なら「根津権現」と神社のことをOO権現と呼びますが、権現とは「仏が権(か)りの姿で現れた」ということを表現している言葉です。

ただ神社の大本である伊勢神宮では仏教的言葉は使われず、寺院のことを「瓦葺き(かわらぶき)」、仏のことを「中子(なかご)」と呼んでいたようです。

神社側の意地のようなものなのでしょうか、完全には混ざり合ったわけではありませんでした。

そうとはいえ江戸時代までは、神社の中に五重塔があったり、お寺の中に鳥居があるのはごく普通の風景だったようです。

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神仏分離

明治政府は、1868年に「神仏判然令(神仏分離令)」を公布し、神道と仏教を強制的に分離させました。

ただこれは明治政府になり突然出たものではなく、江戸時代の国学者たちは神道の本来の姿に戻すべきとの思想を展開していました。

こうした流れと、神社を国家が管理するという明治政府の思惑が一致した政策と言えます。そして、神社を国家が管理する方向性から、のちに国家神道と言う明治から昭和初期にかけての神道思想が生まれてきます。

明治政府は伊勢神宮を頂点とした神道を国教として、日本を納めていく政策を採ったのです。

この政策により、神と仏、神社とお寺、神道と仏教は完全に違う宗教とされ、現在へと至っています。

現在は政教分離しているのでピンときませんが、神仏分離政策は徹底され、神職と僧侶は兼任できなくなり、神社とお寺は同一敷地内で留まることは禁止されました。

当サイトで取り上げた寺社では、「一陽来復」のお守りで有名な穴八幡宮内にあった放生寺は場所を移転させられています。

また東照宮のご祭神は、現在は「徳川家康公」ですが明治以前は「東照大権現」と言いました。先ほども書きましたが権現とは、仏が日本の神様として現れたさまのことを言います。

芝東照宮は、増上寺の敷地内にありましたがやはり隣接する現在地へと移転させられています。

今を生きる私たちは、神社とお寺は別の宗教ととらえていますが習合していた時代の方が長いのです。

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まとめ

寺社巡りをしていますと、神社とお寺が隣同士にあったり、お寺の参道近くに小さな神社があったりします。

明治と言う時代に政治的な意図で分離されて、別々の宗教となってしまいましたが、神社風のお寺(鳥居のあるお寺など)や、お寺の中の神社などがあります。

神社・お寺を参拝する時、その由来を知るのは楽しい事です。

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参考文献:神社ってどんなところ? (ちくまプリマー新書) [ 平藤喜久子 ]

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