仏さまから神様へ変身、謎の神様「第六天」

2020年3月11日

私は整体師をやっていまして、お客様のご自宅でも施術をする事が有ります。

いつも来店しいただいているお客様が、ギックリ腰になったので来てほしいという依頼が有りました。

常連のお客様ですから、行かないという選択肢はもちろんありませんからそそくさと訪問しました。

大きなお宅でしたが、門の所に「第六天神」のお札が掲げられていました。

寺社巡りを趣味にしている私ですが、「第六天神」は聞いた事が有りませんでした。

今回は「第六天」に関して調べてみました。

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▼目次

  1. 第六天とは
  2. 仏敵としての第六天
  3. 第六天、仏さまから神様へ変身
  4. 第六天さらなる逆境
  5. 都内に残る第六天
  6. まとめ

第六天とは

「第六天」は、東京・神奈川・埼玉・千葉で祀られていますが、関西など他の地方では全く祀られていない、南関東限定のローカルな神様です。

今回参考にさせていただいてる川副秀樹さんの著書によると、東京だけでも寺社、境内社、小さな石祠(せきし)や遺跡は70か所もあるそうです。

一つの謎ですが、「第六天」は仏様なのですがそのほとんどが神社に祀られています。

答えは簡単で、江戸時代までは神仏がくっついていました、これを神仏習合と言います。

ところが明治時代になり神仏分離令が出され、神社で仏様を祀れなくなり「第六天」は名前を変えてしまったのです。

「第六天」は、仏界欲天の中の第六天に住む「他化自在天(たけじざいてん)」をさします。

他化自在天は魔王とも呼ばれるのですが、「人々の喜びを自分の喜び・糧にする仏さま」(「第六天」はなぜ消えたのか 川副秀樹著)なのです。

「人の喜びを糧」にするので、人々は喜びを与えてくれる仏さまとして江戸時代には江戸を中心に信仰が広まりました。

とっても分かりやすい、現世利益ですよね!!


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仏敵としての第六天

人々が快楽におぼれれば溺れるほど、第六天にとっては良い状況となり自分自身が肥えていきます。

逆に人々が、仏心に目覚め快楽を求めなくなると第六天は萎んでいってしまいます。

そこで多くの悪魔・悪鬼を従える第六天は、仏教の広まるのを邪魔をしていきます。

このようにして、第六天は仏敵であり魔王なのです。

ところが江戸の庶民の中には、多少不埒で人に言えないような願いでも喜びにつながることならかなえてくれる便利な仏さまとして、第六天を信仰するようになっていったのです。

この庶民の後ろめたい願い事をかなえてくれる仏さまは、江戸時代に爆発的に流行したのです。

子供を食らう鬼である鬼子母神が信仰されるくらいですから、仏の世界はとても自由な信仰の場でもあります。

https://jisya-in.tokyo/temple/kishibojindo

「第六天魔王」と言えば織田信長を思い出す方も多くいると思います。

比叡山を焼き討ちにした後信長が自ら「第六天魔王」と名乗ったとか、武田信玄が非難の言葉として「第六天魔王」と信長のことを呼んだとかあります。

しかしこれらの話を裏付ける当時の資料はなく、後世にそういう話が作られたと考えられています。


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第六天、仏さまから神様へ変身

江戸の庶民から絶大な信仰を勝ち取っていた第六天ですが、時代が明治になり大きな逆境がやってきます。

それが、神仏分離令です。

奈良時代くらいからゆっくりと融合してきた、仏教と神道を無理やり政府は分離したのです。

明治政府の方針は、天照大御神を頂点とした国家神道を作り上げ国民に広く浸透させようとしたのです。

そんな時代に、邪神・邪教とも言える第六天がこのままで生き残れるわけが有りません。

 

日本の神道には、天照大御神が現れる前に七代の神様が現れていて、これを神世七代(かみのよななよ)もしくは神代七代・天神七代と言います。

この第7代が天照大御神の両親にあたる伊邪那岐・伊邪那美ですが、その前第6代の神様を第六天に当てたのです。

この第6代の神様は、面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)と言います。

現在多くの第六天社は、面足尊・惶根尊を主祭神とし社名も変えてしまっているところが多くあります。

第六天第六代に変えてしまうという荒業で、危機を乗り切ったのです。

ただ第六天と言う教団があって一糸乱れずに変更したのではなく、個々の神社で個別対応したので大黒様になったり他の神様へ変わったところも多くあります。

ダイクテンとダイクテンは、一時違いです。それで大黒様にしてしまったというのですから少し呆れます。

さらに発展して大黒=大国(だいこく)として、大国主命に変身した例もあるようです。

また稲荷神社と合祀し、稲荷神社になった例もあります。

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第六天さらなる逆境

第六天の逆境は、さらに続きます。

それは、明治39年に出された勅令による神社合祀運動です。

この時代には多くの小さな神社や祠が数多く存在していました、これでは国家が神社を管理するには都合がよくありません。

そこで明治政府は、由緒ある村社・郷社にそれらの小さな神社を合祀する政策をとったのです。

この政策で、各地方の独特な信仰を消えていき、国家色の強い信仰へと進んでいったのです。

第六天は稲荷神社と合祀されたりし、その姿はほとんど見えなくなってしまいました。

現在残っている第六天を起源にしている神社は、魔王を祀っていたなどおくびにも出さず以前から今の御祭神を祀っていたようになっています。


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都内に残る第六天

第六天の名を残している都内の神社をピックアップしてみました。

●本木第六天胡録神社
足立区本木南町4-2 現祭神―淤母陀琉命

●代六天根ケ原神社
大田区山王3-15-23 現祭神―面足尊・惶根尊

●大六天根岸神社
大田区大森4-24-4 現祭神―面足尊・惶根尊

●奧戸第六天神社
葛飾区奧戸1-78-8 現祭神―不明

●中落合第六天社
新宿区中落合1-14-37 現祭神―不明

●下落合大六天社
新宿区下落合4-14-15 現祭神―面足尊・猿田彦命

●高井戸第六天神社
杉並区高井戸西1-7-2 現祭神―面足尊・惶根尊

●東中野第六天神社
中野区東中野1-15-9 現祭神―榊皇大神(面足尊・惶根尊)

●中目黒第六天社
目黒区上目黒2-1-1 現祭神―面足尊・惶根尊

「第六天」はなぜ消えたのか 川副秀樹著より抜粋

残念ながら上記の神社は一つも参拝した事が有りません。(来年の目標かな?)

大六天・第六天など表記は、神社によって違います。

第六天の名前が残っていなくて、大六天をかつて祀っていた神社は関東だけでも6~70社ほどあります。

ただ静岡長野以西には、ほとんどないようです。


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まとめ

第六天を名乗っている神社には、参拝したことがないのですが、かつて第六天を奉じていた神社に行ったことはあります。

それが「牛天神 北野神社」の末社で、「高木神社」と言います。

もともとこの高木神社は、文京区小石川付近にあった小日向第六天社が遷座し名前を変えたものです。

現在の御祭神は、宇賀御魂命(うかみたまのみこと 稲荷神)に変わっています。

現在の小石川の付近の一部は、江戸時代から昭和41年までは小日向第六天前町(のちに第六天町)と呼ばれていました。

境内にある案内板には「高木神社は、旧第六天町(現・小日向1丁目)にあった五穀豊穣のかみである第六天社を、道路拡張に伴い、ここに移したものである。」と書いてあります。

第六天がお稲荷様に変身してしまったわけですが、祈る側は神様の名前でなく自分の願いをかなえてくれればそれでよいのかもしれません。

北野神社|願い事をかなえてくれる撫で岩「ねがい牛」がいる牛天神

これが日本の神様の大きな特徴なのかもしれませんね!!

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参考文献

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