将軍家の狩猟地だった下落合歴史散歩
今回は高田馬場から西武新宿線の下落合までの一駅間を散策してきました。
私は高田馬場にある高校に通っていましたから、高田馬場は第二のホームといった感じです。
今一番さみしく思っているのは、早稲田通りに多数あった古本屋さんがほとんどなくなってしまったことです。早稲田大学近くまで行くとまだ数件残っているようですが、昭和の学生街は今は思い出の中に住んでいます。(とは言え早稲田松竹は今も健在です)
今回は高田馬場を降りて早稲田とは反対側の、下落合へと向かって散策しました。
一か月早くこのコースを散策していれば、薬王院のボタンや東山稲荷神社の藤などを見れたのですが時期がズレてしまいました。ヾ(。>﹏<。)ノ
散策日2023年5月16日
▼目次
散策コース
散策コース:高田馬場駅>>さかえ通り>>東山稲荷神社>>おとめ山公園>>下落合薬王院>>下落合駅
所要時間1時間30分
高田馬場の象徴と言えるBigBoxは、私が高校一年の時にオープンしたものです。当初は西武百貨店をオープンさせる予定だったようですが、新宿と池袋に挟まれた高田馬場では採算が取れないということでスポーツに特化したビルが建てられたと聞いています。
あれから50年以上の月日がたってしまいました。(光陰矢の如し)
高田馬場から「さかえ通り」
高田馬場駅を出て早稲田通りを渡ると、向かい側に「さかえ通り」の入口があります。
ここも以前は町の商店街という感じでしたが、今は若者の街という感じで、明るくなっていました。店の色合いが明るい色を使った店が増え、昔より明るい街に変化したようです。
私が行った時間はお昼だったので、飲食店の多い街なので平日でも多くの人が出ていました。
小路で人が多くいると、活気を感じますよね!!
写真は、小路の出口の看板を妙正寺川の対岸から撮ったものです。
飲食はこちらの商店街でもいろいろ選べますが、早稲田通り沿いの方がさらに選択肢は広いです。
私たちは高田馬場から早稲田方面に3分ほど歩いたところにあるカフェを選択しました。
Salute(サルーテ)
肉バルとイタリアンダイニングの店です。お店の方は見えた範囲では、インド系の方たちでした。ランチはカレーとサラダ、コーヒーで980円で済みました。COSTA COFFEEも併設されていますから便利で、おいしいお店です。
東京都新宿区高田馬場2丁目14-2-B1F
電話番号 03-6636-4389
「さかえ通り」を紹介しているのに、別の場所で食事しているのもいかがなものなのですかね(灬ºωº灬)♡
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東山稲荷神社
さかえ通りを出て妙正寺川と新目白通りを越え少し坂道を登ると「おとめ山公園」なのですが、その手前に東山稲荷神社の鳥居が見えてきます。(おとめ山公園とは隣接しています)
東山稲荷神社の沿革
こちらのお稲荷様は、源氏の祖源経基により創建された神社です。源経基は清和天皇の孫にあたり、平将門や藤原純友の討伐で功績をあげ、源氏の姓を賜った人物です。経基の生年は不詳で、没年は応和1年(961)とされています。経基が活躍して時代は、醍醐天皇の御世でだいたい平安中期です。
当社は、経基が延長五年(927)に京都稲荷山より勧請したと伝えられています。東山稲荷神社は、「藤稲荷神社」「富士稲荷神社」とも呼ばれています
天皇より源姓を賜った経基は、以来東山稲荷神社を源氏の氏神として、一族で崇敬することとしたと伝えらています。
御祭神
ご祭神 | 宇迦之御魂大神 |
相神 | 大宮能売大神 佐田彦大神 |
御利益 | 〇宇迦之御魂大神は、伊勢神宮外宮と御同神といわれていて、衣食住を司る大祖神と言われています。一家の和合、商売繁昌を守護する神様とされています。 〇大宮能売大神は、神楽舞踏の始祖神と言われ、 歌舞音曲にご利益があります。 〇佐田彦大神は、交通、通商貿易を守護し、万事善方に導く神様です。 |
境内写真
▼鳥居
おとめ山公園に行く道の途中に左に行く道がありその奥に東山稲荷神社の一の鳥居があります。二の鳥居の写真は、東山稲荷神社のタイトル下の写真です。
▼狛犬(お狐様)
右のお狐様の上には藤棚があります。
▼社殿
小さな社殿ですが、屋根が立派ですね。
▼境内いろいろ
お地蔵さまがさみし気に鎮座しています。
崩れたお狐様が、哀れに見えますね。
この池みたいなのは手水舎なのでしょうか?
こちらの神社は無人のようで、御朱印は近くの新宿氷川神社で頒布しています。
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おとめ山公園
おとめ山公園のある地域は落合と言いますが、ここはかつて神田川と妙正寺川が合流する場所で「落合」と言われています。以前はこの二つの川はよく氾濫していました、そのため川近くは浸食されています。(現在では河川工事され、もう少し下流の早稲田付近で妙正寺川は神田川と合流します)
この辺りは台地で、川の近くは浸食され低くなっています。台地と低地の間の斜面部分におとめ山公園は立地しています。
おとめ山公園の沿革
この辺りは江戸時代には、将軍家の狩猟地で立ち入り禁止の意味の「御留山」と言われていました。「御留山」が由来となり、「おとめ山」と呼ばれるようになったとされています。
明治になり藤原北家嫡流であり華族の公爵家のひとつ近衛家が、この辺りを所有していました。その後大正初期に現在のおとめ山公園を含む西側半分を相馬家が取得し邸宅としています。
相馬家は邸宅の中に、長岡安平の手による池泉を中心とした回遊式庭園を築造しています。
その庭園の一部を、現在のおとめ山公園としています。
湧き水
新宿のという都心にまだ湧水があることに驚いてしまいます。
この湧き水は、平成15年に「東京名湧水57選」に選ばれています。「東京名湧水57選」を見ると、23区内に16か所も名湧水と呼ばれるところがあるのですね。
湧水は何か所からか湧き出て、それが集まり池をなしています。
この池にはアオサギがいました。ちょっと驚きですね!!
スタジイ
おとめ山公園の象徴的な樹木が、この「スタジイ」です。スダジイは日本の照葉樹林を、代表する樹木のひとつです。 照葉樹林とは、光沢の強い深緑色の葉を持つ常緑樹により構成された森林のことでこの辺りもそういった森があったのです。
かつての面影を残すために、スタジイは残されています。
東長谷寺薬王院
東京に住んでいると「薬王院」と言えば、高尾山に鎮座する高尾山薬王院有喜寺を思い浮かべてしまいます。高尾山薬王院は真言宗智山派の関東三大本山ですが、下落合の薬王院は真言宗豊山派の寺院です。
こちらの薬王院は、別名「ボタン寺」と呼ばれ、4月には多くの参拝者が訪れています。
沿革
薬王院は、鎌倉時代に相模国(現在の神奈川県)大山寺を中興した願行上人によって創建されたといわれています。
その後荒廃しましたが、江戸時代により実寿上人により中興されています。ただこれも長続きせず、火災により焼失しています。
明治時代に再度再建され現在に至っています。(コンクリート造りの本堂ですから、昭和にも再建されているのでしょうね。)
昭和になり本山長谷寺よりボタンの株が100株が下賜され、現在1000株までに増えています。
本山は「ボタン寺」とも呼ばれ、また通称東長谷寺とも言われています。
境内写真
薬王院の境内には、江戸時代初期の墓石などの石造品が多くあり、また中世の板碑が8点保存されています(非公開)。
▼山門
▼庫裡
▼本堂
▼観音堂
▼境内いろいろ
薬王院基本情報
所在地 | 東京都新宿区下落合4-8-2 |
電話 | 03-3951-4324 |
公式HP | http://www.yakuouin.or.jp/ |
山号 | 瑠璃光山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
御本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
創建年 | 鎌倉時代 |
開基 | 願行上人 |
正式名称 | 瑠璃光山薬王院医王寺 |
札所等 | 御府内八十八箇所 第36番 |
アクセス | 西武新宿線・下落合駅から徒歩5分 |
まとめ
この日は今年東京地方初の真夏日となり、あまりの暑さでばててしまい、このエリアにはあと氷川神社や下落合野鳥の森公園など見どころはあるのですが断念しました。
5月も中旬になると花の見どころが終わっていました。来年は4月中に来たいものです。
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