招福の神様弁天を巡る、「江戸六所弁天」
新宿の大ガード付近を歩いていると、「東京女子医大」行のバスを見かけ、そこに「抜弁天経由」とも書かれていました。
早速調べてみると、西向き天満社の摂社だということがわかりました。さらに知ったことは、「抜弁天」は「江戸六所弁天」の一つということです。
江戸の人たちは、「江戸六地蔵」とか「江戸八所八幡宮」などセットで神社・仏閣巡りを楽しんでいたようです。
今回は、「江戸六所弁天」を調べてみました。
▼目次
弁天様てどんな仏(神)様
インド由来の神様
仏教の仏は、如来部・菩薩部・明王部・天部に分けられていて、弁財天(弁才天・弁天)は天部の神様です。
弁天はもともとは、ヒンドゥー教の女神である「サラスヴァティー」が、仏教に取り込まれ弁才天(仏教では弁才天と書きます)と呼ばれるようになりました。吉祥天とも同一視されることも多く、吉祥天も弁天と呼ばれることもあります。
サラスヴァティーは、原初には河を神格化した神様でした。川は農耕にとって重要な存在ですから、サラスヴァティーは豊穣をもたらす豊穣の女神としての性格が強くありました。また、インド神話では、梵天王の妻ともされています。(ちなみに吉祥天は、毘沙門天の妻とされていますから、もともとは別の神様です)
時代が下るとサラスヴァティーは、インドの言語の神様「ヴァーチュ」とも同一視されるようになり、弁舌、学業、知恵の神様としての側面も持ち始めます。
日本へ伝来
仏教が最初日本に渡ってきた時は、国家鎮護が目的とされ信仰されていました。
仏教で天部の神様は仏の守護者のため、弁財天の仏像は「一面八臂」の姿で描かれ武具も持っています。
後ほど紹介する「厳島神社」や「金剛寺」は、源義家や源頼朝が戦勝を願い、その勝利のお礼に社を造っています。
武家には戦勝祈願の対象の神様でしたが、平安時代の貴族は招福の神として信仰するようになっています。
神仏習合
平安時代から神仏習合が起こり、弁財天は宇賀神(蛇神)と融合していきます。弁財天は、河の神・水の神・豊穣の神としての性格を持っています。宇賀神もまた豊穣の神として信仰されていました。
宇賀神は頭が老人で体が蛇という姿をしています。ただこの神は、日本神話には登場せず民間で広まっていた謎の神様です。
宇賀神と融合してからは、金運・財運のご利益で知られるようになっていきます。
鎌倉で有名な「銭洗弁天」は、「宇賀福神社」と言います。
七福神へ
室町時代になると七福神信仰が生まれ、弁財天も弁天と呼ばれ七福神に加わっていきます。(当初は吉祥天が七福神に祀られていましたが、ご利益の強い弁天に取って代わられています)
弁天を含め、大黒様、恵比寿様は、招福の神様として今でも信仰を集めています。
弁財天が七福神に含まれるようになってから、仏教で描かれていた「一面八臂」の像から女神の姿へと変化しています。
ヒンズー教でのサラスバティーは琵琶を待った姿で描かれており、日本でも琵琶を持った弁天像が多くあります。江の島の弁天像は特に有名で、裸体で彫られ今でも美しい姿をしています。
そして、琵琶を持っていることから、技芸の神としても信仰を集めています。
明治時代になり神仏分離がなされ、神社で祀られた弁天様は、市杵嶋姫命などの神に代わっています。神社に祀られていた、仏像の弁才天はこの時廃棄されてもいます。
ただ今は、神社でも弁天の名称を使っていますよね!!
弁財天・弁才天?
弁財天は弁才天とも書きますが、もともと仏教では弁才天と書きます。中国の僧「義浄」翻訳したものが伝わっているのですが、そこには辯才天とされていました。神仏習合を経て招福の神となり、財産の財の字があてられるようになっています。(諸説あり)
弁才天のご利益
解説の中で弁才天のご利益を書いてきましたが、まとめてみました。
金運・財運開運
技芸上達 (芸能・音楽等の芸事のご利益)
縁結び・恋愛成就 (縁切り)
学業成就 (弁才)
立身出世
勝運 ・ 武運長久
国家鎮護
なんでもかなえてくれるオールマイティな神様ですよね!!多くの神社・仏閣で、弁天堂を祀っているわけが分かりますよね!!
江戸六所弁天
札番 | 山・院・寺号/名称 | 住所 | 備考 |
1番 | 江島杉山神社 | 墨田区千歳1-8-2 | |
2番 | 東叡山 寛永寺 不忍池弁天堂 | 台東区上野公園2-1 | 谷中七福神 |
3番 | 洲崎神社 | 江東区木場6-13-13 | |
4番 | 宝珠山 冬木辯天堂 | 江東区冬木22-31 | 深川七福神 |
5番 | 厳島神社(抜弁天) | 新宿区余丁町8-5 | 山の手七福神 |
6番 | 瀧河山 松橋院 金剛寺 | 北区滝野川3-88-17 | 滝野川16寺院、豊島88霊場 |
江島杉山神社
江島杉山神社は、JR総武線の両国駅より徒歩7分ほどにある神社です。
安芸(あき)の宮島,琵琶湖の竹生島,江の島が日本三大弁天(神道系)ですが、江島杉山神社は江の島の弁天を勧請して建てられたものです。
〒130-0025 東京都墨田区千歳1丁目8−2
寛永寺 不忍池弁天堂
江戸六所弁天の中で最も有名なのが、上野公園の不忍池にあるこちらの弁天堂です。
寛永寺は江戸時代では、日本最大の寺院でした。寛永寺を創建した天海大僧正は、不忍池を琵琶湖を模して作り、琵琶湖の竹生島にある「宝厳寺」に見立てて弁天島に建てたのがこの「弁天堂」です。
こちらの弁天は、「八臂大辯才天」です。
〒110-0007 東京都台東区上野公園2−1
洲崎神社
洲崎神社は、徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院が崇敬していた弘法大師作と言われる弁財天を、こちらに遷座した創建された神社です。
こちらの弁天は、「浮弁天・洲崎弁天」と呼ばれています。
〒135-0042 東京都江東区木場6丁目13−13
宝珠山 冬木辯天堂
こちらの弁天堂は、材木豪商冬木家の邸内にあった弁天堂です。
以前は池まであった広い境内だったようですが、今ではこじんまりとしたお堂です。
深川七福神で、「冬木弁天」と呼ばれています。
〒135-0041 東京都江東区冬木22−31
厳島神社 抜弁天
抜弁天は、東京都新宿区余丁町にある厳嶋神社の通称のことです。この厳島神社は、源義家(八幡太郎)創建という古社とされています。
抜弁天の呼び名の由来は、源義家が苦難を切り抜けたという伝承からついたという説と、境内参道が南北に通り抜けできることからそう呼ばれるようになったという説があります。
またこちらの弁財天は、新宿山ノ手七福神の弁財天になっています。
〒162-0055 東京都新宿区余丁町8−5
金剛寺 弁天堂
金剛寺は、真言宗豊山派寺院で瀧河山松橋院と号しています。
寺院の創建は、弘法大師が関東を遊歴した際に造られたと伝えられています。
平安末期の治承年間(1177~81)には、源頼朝がこの地に布陣し、源氏は弁財天への信仰も厚く堂舎を建立したとも伝えられています。
こちらの弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれています。
〒114-0023 東京都北区滝野川3丁目88−17 金剛寺
まとめ
私はよく吉祥寺に買い物に行くのですが、井之頭公園内にも弁天堂があり行くと必ずお参りをしています。
弁天様は、身近の神社・仏閣に祀られています。調べてみると、仏教での弁才天は、琵琶を持っていませんよね(冬木弁天を参照してください)。調べるといろいろな神様・仏様の変遷が分かってくるものです。
表紙の写真は、不忍池から望む弁天堂です。
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